当ホームページの管理人『Chan』が、HPの基本から学ぼうと作ったものです。
作成していると、Kaakaが「私の分も載せて!」と横から割り込み、夫婦の趣味(鯉釣・DIY・トレッキング・草花)を紹介する当HPができました。特許権・商標権・著作権について知っていると便利な情報もあります。初めてご利用の方は ご利用上の注意点 を同意の上、ちょっとお寄りになって、ご覧ください。

Kaakaの世界
トレッキング/栃木県 唐沢山(241m)〜諏訪岳(323.7m) 後編(2011.02.13)

 前編は ここをクリック してご覧下さい。


看板 車井戸 道標 6. 京路戸峠

 9時34分 唐沢山神社への階段と社務所(南城跡)との間に「京路戸峠2.9Km」の道標があるのでここを進むとまもなく「車井戸」に着く。
「かんかん井戸」とも呼ばれ、龍宮まで続くといわれる深さ25mの井戸です。
 このあたりから、日蔭には前日降った雪が残っていました。
松くい虫の看板 松の断面 雪道 なお、この先、道標はあるものの 不要な場所にあって、間違いやすいところにない とい不親切な道標の配置です。ぜひ地図をお持ちになって下さい。
 また、1980年以降に松くい虫の加害で松が次々に枯れているそうで、松くい虫による被害を書いた看板と伐採した松の巨木が転がっていました。詳細は右の看板をクリックするとご覧いただけます。
雪道 雪道 中間地点の休憩所  10時9分 「唐沢山神社へ1.4km 京路戸峠へ1.5km」の中間点に到着。
雪に埋もれていたので、休憩せずに先に進むこととした。
しかし、更に雪が深くなる。
道標 京路戸峠 わずかな展望  10時45分 途中 わずかな展望を経て、京路戸峠(きょうろどとうげ)に到着。
「京路戸」の由来をWebで調べたところ、『「京路戸」の由来について「経論堂=きょうろんどう」が訛ったものだと、岩船町小野寺にある天台宗の古刹「大慈寺」のご住職が、ネットの「住職日記」で紹介しています。』『小野寺には小野小町の「お墓」があり、大慈寺ともかかわる伝説があります。それで、小町が峠に登り京への思いを募らせたことから、という説も他の人のネットにありました。』という2説がありました(ブログ「塾長の徒然草」より)。  また、その小字名のある佐野市多田町(旧・田沼町多田)には、秋山川にかかる「京路戸橋」や「京路戸公園」(京路戸峠の入り口)もあります。

7. 諏訪岳

 京路戸峠から諏訪岳へ向う途中 10時50分 展望が広がるところがあった。
展望
上の写真の、右の雪山を拡大してみました。
展望
拡大道標 道標  10時55分 「京路戸峠へ0.3km 村桧神社へ1.1km」の道標に着きました(左写真)。
これだけでは 目指す諏訪岳 へは行けません。
しかし、よく見ると、右の写真のように「京路戸峠」の道標の下に、追加の「諏訪岳」の道標が付けられていました。
設置は2010年夏のようで、それまでは ルート確認が 難しかったろうと推察しています。
ここでは。道標に従い左写真のY字路を左方向に進むこととしました。
諏訪岳山頂
 11時10分 先程の道標を過ぎ 急坂を登ると 諏訪岳(すわだけ323.7m)山頂に到着です。

諏訪岳は、栃木県佐野市(旧・安蘇郡田沼町)にある山で、葛生町側から見ると、まるで本物の富士山のように見えるので、地元の人に諏訪岳といっても通ぜず、ここでは通称「中村富士 」と呼ばれているようで、また、京路戸山(きょうろどさん)との呼び名も見られる。
なお、山頂からの展望は、北東方向がわずかに見られる程度だ。
ここで 少し早い昼食 としました。
山頂からの展望

唐沢山神社 横 8. 下山/京路戸峠〜唐沢山神社(唐沢山城址)

 11時40分 下山開始。

13時10分 唐沢神社に戻って来た。
      写真は、横からの参道です。
避来矢山霊廟  13時25分 避来矢山霊廟に到着。
 避来矢山(ひらいしやま)山頂には、かつて根古屋神社(ねごやじんじゃ)があったという。
現在は、神社跡の碑が建てらている(現在は、栃木県佐野市栃本町にあるという)。
その横には、唐沢山神社に功績があった人々を祀る避来矢山霊廟があった。
   霊廟(れいびょう):人の霊をまつってある建物
 『避来矢とは、平安時代中期の武将藤原秀郷が百足退治の礼として龍宮の王からもらったという伝説のある大鎧の名称。この鎧を着用していると飛んでくる矢に当たらなかったという。「平石」とも記される。』(ウィキペディアより)
明治天皇御製/四方の海  13時30分 明治天皇御製/四方の海の碑があった。
       四方の海みな
        はらからと思う世に
       など波かせの
        立ちさわくらむ
            鈴木貫太郎謹書
 欧米列強がアジアを侵略し、ロシアが日本を虎視眈々と狙っている頃に明治天皇が明治37年にお詠みになられた御製で 『四方の海はみな同胞と思うこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろう。』と書かれているらしい。
なお、昭和天皇が1941年日米開戦前の御前会議において引用したことでも知られているらしい。
       御製(ぎょせい):天皇の作る詩文や和歌。古くは他の皇族の作品をもいった。
       鈴木貫太郎(かんたろう):大阪の生まれの慶応3年(1868年) - 昭和23年。日本の海軍軍人、政治家。
              階級は海軍大将。連合艦隊司令長官・枢密顧問官などを歴任し侍従長の時に二・二六事件にあい、
              重傷を負った。第二次大戦末期に首相としてポツダム宣言を受諾した。

唐沢山神社レストハウス駐車場 9. 唐沢山神社レストハウス駐車場 〜 鏡石 〜 展望

 13時40分 唐沢山神社レストハウス駐車場に戻った。
朝は3台ほどの車しかなかったが、この時間には十台ほどの車が駐車していた。

鏡石なるものがあるというので、行って見ることにした。
鏡石 鏡石の説明  13時50分 鏡石(かがみいし)に到着。

この巨石の由来は、上杉謙信が唐沢城を攻めた時にさかのぼり、『西日がこの岩に反射して、敵の攻撃を防いだと伝えられている珍しい岩』と伝えられている。
鏡石の説明写真をクリックすると拡大して見ることが出来ます。
道標 ハイキングコースの看板  13時55分 唐沢山県立自然公園ハイキングコースの看板を見つけた。
見晴小屋があるとの道標もあったので、行ってみることに・・・
 歩いてすぐに見晴小屋があるのかと思ったが、先を見てみ小屋がない。
14時 見晴らしが良いところに出た。
東から南方面
 左奥に、筑波山(男体山と女体山がハッキリ見える 良い形です)、その右に岩船山・・・・ そして、三毳山も見えた。
筑波山/岩船山 三毳山
展望所から 展望所から
 今日は時間がないので、この場所で記念撮影をして引き返すことにしました。

次回 チャンスがあれば この先に進みたいと思います。

このページのトップに戻る 

 サブメニュー『トレッキング&ハイキング&旅 編』へ移動      唐沢山前編へ戻る 

「Kaakaの世界」への訪問 人目

inserted by FC2 system