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Kaakaの世界
トレッキング/栃木県 唐沢山(241m)〜諏訪岳(323.7m) 前編(2011.02.13)

唐沢山〜諏訪岳

 唐沢山(からさわやま)は、栃木県のHP『自然「山岳」』に次のように紹介されていた、
    『唐沢山県立自然公園の中心をなす山。関東平野の北端、平野と山並みの接点にあり、山ろくの田園地帯からもよく見える。
    山頂には唐沢山神社があり、重要文化財のかっちゅう金具など貴重な文化財が保存されている。
    また、この山は、約1,000年前の藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の山城跡で、今も石垣・土塁を残している。
    その当時は「関東七堅城」と言われ、岩船山、琴平山に接した堅固な城であった。』
 さて、唐沢山の標高の記載がマチマチなので、国土地理院の241mに合せることにします。
     唐沢山神社のHPでは240m
     国土地理院の25千分の1の地図では標高241m
     あるHPでは標高247m
     栃木県のHPでは249m

 諏訪岳(すわだけ323.7m)は、佐野市(旧・安蘇郡田沼町)にある山で、栃木県葛生町側から見ると、まるで本物の富士山のように見えるので、地元の人に諏訪岳といっても通ぜず、ここでは通称「中村富士 」と呼ばれているようで、また、京路戸山(きょうろどさん)との呼び名も見られる。

唐沢山県立自然公園標識 ホワイトツリ― 1. 唐沢山レストハウス駐車場 へ

 8時 自宅を出発し。
前日の関東地方は 雪・ゆき・ユキ・・ 今朝の木々は まるで桜の花が咲くがごとく雪化粧
私達は、唐沢山神社レストハウスの駐車場を目指し車を走らせ、8時55分到着。
2. 唐沢山城/天狗岩 からの展望

      唐沢山城【ウィキペディアより】
唐澤城跡の看板 唐沢山城の説明看板 『関東七名城の一つ。佐野市街地の北方約5キロメートルの唐沢山(247メートル)山頂を本丸として一帯に曲輪が配された連郭式山城である。戦国時代には上杉謙信の10度にわたる攻城を受けたが、幾度か退けた。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴である。城からは、晴れた日には新宿の高層ビル群が見える。
現在は栃木県立自然公園の一部となっており、本丸に築城主と伝えられる藤原秀郷を祀る唐沢山神社が鎮座し、また、杉郭跡に栃木県唐沢青年の家が建てられている(平成19年(2007年)3月31日閉所)。遺構として石垣、大手枡形、土塁、堀切、井戸などが残っている。』
詳細は、ここをクリックして確認願います。
天狗岩 ますがた  唐沢山神社レストハウスの駐車場から「唐澤城跡」に入るには、「ますがた」と説明のあるクランク状の石垣を通る。
   ますがた【枡形/升形/斗形】:城の一の門と二の門との間
        にある方形の広場。出陣の際、兵の集まる所。
        侵入した敵軍の動きをさまたげる効果もある(大辞泉より)。
 そして、右手に「天狗岩」の標識があった。
そこには「物見櫓のあったところで、南側に出た岩がちょうど天狗の鼻の様であったためにこの名がある。」と書かれた看板があり、展望が望めそうと考え行ってみることにした。
南東方向
富士山 新宿高層ビル群 東京スカイツリー 南東方向から南西方向に順に、
  三毳山
  東京スカイツリー
  新宿高層ビル群
  富士山
が見えた。
さらに、北西方向には下のような雪山の展望が広がっていた。
北西方向

古跡唐沢城址案内図 3. 唐沢山城内散策

 9時15分 まず、唐沢城内を歩き 唐沢神社を目指した。
「古跡唐沢城址案内図」をクリックすると、大きな案内図が表示されますので、ご利用ください。
八大龍王神 八大龍王神 縁起  まず、左手に現れたのが 畳一枚弱の大きさの岩 だ。
そこには「八大龍王神 縁起」と書かれた看板がり、ムカデ伝説を交えた八大龍王神(はちだいりゅうおうじん)の由来がかかれていました。縁起とは「いわれ:由来沿革を説明したもの」の意味です。
写真をクリックすると拡大写真が表示されますのでご確認ください。
看板 大炊の井
 八大龍王神の先には Kaakaが覗き込む直径8mもある大きな井戸があった。この井戸は大炊の井(おおいのい) と言われている。
看板 水琴窟
 その先 右には 水琴窟/天慶夢 がある。
あるHPでは「高・中・低音 あり/すがすがしい音色、響きの良い音」と紹介していたが、竹筒に耳を当てて聞いた私達の耳には 『ゴォー』という音のみだった。
      【ウィキペディアより】
『水琴窟(すいきんくつ)は、日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。水琴窟という名称の由来は不明である。同系統もしくは同義の言葉に洞水門(とうすいもん)がある。伏鉢水門、伏瓶水門ともいう。』
看板 神橋
 その先には 神橋 があった。
『旧名を曳橋(ひきはし) といい、四ッ目掘堀切(ほりきり)に掛けられた吊り橋にて、架撤自在のものなりと伝えられる。大正15年皇太子殿下御成婚記念として地元高齢者の寄進による。』と書かれていた。
  曳橋:当時は外敵にそなえ使わない時は引き上げてしまう構造の橋であった。
  堀切:地面を掘って切り通した水路
  皇太子殿下:昭和天皇

唐沢山神社 神社へ 看板 4. 唐沢山神社

 右の「唐沢山神社」の写真をクリックすると、大きな写真で記載内容を確認することが出来ます。
ここでは、【ウィキペディア】にて紹介されている内容を下記に記す。
『唐沢山神社(からさわやまじんじゃ)は栃木県佐野市の唐沢山山頂にある神社。藤原秀郷を祀る。旧社格は別格官幣社。
祭神の藤原秀郷は俵藤太(田原藤太)の別名でも知られ、下野国押領使として唐沢山に唐沢山城を築城し、秀郷の子孫の佐野氏が居城した。秀郷は平将門の乱を鎮圧して鎮守府将軍となったことから忠皇の臣とされ、秀郷の後裔や佐野氏の旧臣らが中心となって秀郷を祀る神社の創建が始められ、明治16年(1883年)、唐沢山城の本丸跡地に創建・鎮座された。明治23年(1890年)に別格官幣社に列格した。』

5. 唐沢山城/南城跡(社務所)からの展望

南城跡/万葉歌     【万葉歌】
   下毛野(しもつけの) みかも(美可母)の山の
   小楢(こなら)のす
   まぐは(麗)し児(こ)らは 誰(た)が笥(け)か持たむ
口語訳『下野(しもつけ)のみかもの山のコナラのように美しいあの娘は、いったい誰の食事の世話をするようになるのだろう。』という歌碑が立てられていました。

 物見櫓があったといわれる天狗岩に続き、ここからも南を中心に、東から西の方向が展望できます。
神社へ
富士山 新宿高層ビル群 東京スカイツリー 南城跡について

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