Kaakaの世界/トレッキング/茨城県 加波山の後編(神社群)(2010.11.28)
1. トレッキング先の決定
2. 一合目:桜川市長岡にある中宮の里宮「加波山神社 拝殿」に到着
3. 二合目:加波根不動明王神社(寝不動尊)、そして初の火渡り。
4. 登山開始 12時45分
さて、加波山の神社群を見て回るには、故あって中宮、親宮・本宮に分かれて活動していることを再度説明します。
加波山(かばさん)は茨城県桜川市と同石岡市の境に位置する標高709mの山。
天狗の山としても知られており、古来より山岳信仰の対象となっており、霊場である山中には社や祠が数多く点在し、737の神々が祀られている。現在信仰の中心となっているのは、下記の加波山権現と呼ばれる3社であるが、それぞれが異なった由緒を持つ。
中宮:現在の正式名称は「加波山神社」
通称は「加波山神社中宮」或いは「加波山中宮」
本宮:正式名称は「加波山三枝祇神社」
当該神社内において「加波山三枝祇神社本宮」を称し、また「加波山神社本宮」或いは「加波山本宮」とも通称される。
親宮:現在は本宮に合祀され、本宮内において「三枝祇神社親宮」を称し、
また「加波山神社親宮」或いは「加波山親宮」とも通称される。
山頂付近には本宮、中宮、親宮の本殿と拝殿がそれぞれ独立して鎮座し、本宮及び親宮も「加波山神社本宮」・「加波山神社親宮」と名乗っていることから、現在「加波山神社」の称号をめぐって中宮と本宮・親宮とが争っている状態にあるとのことであるが、現在は、故あって親宮は本宮のもとに活動しているようです。
なお、旧社格としては、中宮(加波山神社)が郷社、本宮(加波山三枝祇神社)と親宮(三枝祇神社親宮)が村社らしい。
旧社格:神社の格式。祭政一致に基づき、朝廷などにより定められる。
1871年(明治4)太政官(だじょうかん)布告により社格制度が新たに定められた際、官社以外の神社を諸社といい、
府社、藩社(はんしゃ)(廃藩後は府県社と改称)、県社、郷社、村社が定められた。
郷社は府県社に次ぐ郷邑(きょうゆう)の産土神(うぶすながみ)で、村社よりも崇敬範囲が広く、
一地方にわたって崇敬される中心的神社をあてた。
一方、一地方の氏神として仰がれる社を村社とした。
1945年(昭和20)この制度廃止当時、全国約11万社のうち村社数は4万4934社であった。
ただし、戦後に神社が国家管理を離れると社格制度も廃されたため、現代では社格というものは存在しない。
出典:フリー百科事典「ウィキペディア」
これら加波山の3社について興味がある方は、各自Web等で調べてみることをお勧めします。
なお、中宮と、本宮・親宮は、色で区分けすることとします。
いよいよ山頂の神社群を紹介します。
5. 山頂の神社群
14時頃、「加波山神社」の石碑に到着。その先には山頂付近最初の鳥居が
あった(約638m)。
その先のほぼ正面にあったのが 加波山神社(山頂拝殿) です。
神社の右に 石段があり この右側には 三枝祇神社親宮(拝殿)がある(写真なし)。
さらに、山頂に向けて歩き始めると 「先達」「大先達」 と刻まれた石碑の数々。
先達(せんだつ):修験道で、山に入って
修行を行う際に
指導する者/大辞林より
そして、三枝祇神社親宮(本殿)があった(14時10分)。
さらに、加波山神社の摂社であるたばこ神社があった(14時13分)。
この神社は、草野姫命を主祭神に、八雷神と大己貴命を配祀している。
摂社(せっしゃ):本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社。
本社と末社との間に位する。
次にあったのが、加波山神社(本殿)である(14時15分)。
さらには、「勅宣\正一位本宮\加波山大神社」の看板を掲げた神社があった(14時20分)。
パンフレットに寄れば三枝祇神社本宮(本殿)とのこと、「宣勅」は、右から左に読むようだ。
勅宣(ちょくせん):天子が命じること。また、天子の命令を伝える公文書。勅命の宣旨(せんじ)。天子の仰せ言。みことのり。
ところで「正一位」とはなんぞや?・・・フリー百科事典「ウィキペディア」によれば
『正一位(しょういちい)は、個人の地位を表す序列・等級である位階(いかい)及び、祭政一致に基づき、朝廷などにより定められる神社の格式としての神階(しゃかい)を示す。
諸王及び人臣における位階の最高位に位し、従一位の上にあたる。
例えば、関白や太政大臣、あるいは征夷大将軍として功労をなした者その他、国家に対する偉勲の著しい者が叙されている。ただし、生前に叙された者は史上でも6人しかおらず、没後の贈位に用いられた場合がほとんどである。また、生前叙位は明治24年(1891年)の三条実美を、没後追贈は大正6年(1917年)の織田信長をそれぞれ最後として、以後は叙位の例がまったくない。
神階は原則として格下げられることがなく、また、いつか寿命が来る人と違い、神には寿命がないので、年を経るごとに多くの神社が「正一位」となってしまった。本来神階は神社に対して授けられるもので分祀先には引き継がれないが、律令制の崩壊とともに分祀先でも元の神階を名乗るようになった。神階の制度は明治時代に廃止されたが、今日でも社名に神階をつけているものがある』
ところで 加波山(標高709m)の山頂はどこ?・・・
霊域と言われるだけあって 山頂らしき一帯は 巨岩・奇岩が集まっていたが、山頂の標識が見つからない。
一番右の岩は「三尊石」と呼ばれている。
帰宅後に調べてみると、三枝祇神社本宮(本殿)が鎮座している場所が 山頂 であったらしい。
さて、本宮(本殿)の先にある三枝祇神社本宮(拝殿)(加波山神社本宮の拝殿)にも、同じ看板が掲げられていました(14時25分)。
中宮と、本宮の争いがここにも表現されているのかもしれない。
6. 下山開始 (14時30分)
加波根不動明王神社での火渡りの儀を見学・体験していたことで、大幅に遅れてしまった今回の予定ですが、いよいよ下山です。
三枝祇神社本宮(拝殿)で右折して 営林署道路 に向けて下山を開始し、その営林署道路に出た所で 遅めの昼食 とした。
ここには、犬を連れた 栃木県栃木市からのご夫婦 が昼食を食べており、一言・二言 言葉を交わしました。
15時35分 湯澤石材の石切り場まで下山。
15時44分 三合目の鳥居に到着。ここが、登山口である。
この左(写真では向って右)には、案内図では「桜坊」と紹介されている廃墟?があった。
「天狗の庭。天中坊大天狗・加波根不動明王・・・・」などと沢山の神仏の名を掲げた看板が掲げられており、封鎖されてかなり経っているようだ。
桜坊でY字路になっており、下から上を見るようにして、右に桜坊、左に「桜観音」があった。
16時 加波山普明神社 と 加波山神社 拝殿 がある 1合目の駐車場に帰ってきました。
今回のトレッキングの道中無事を報告するために 拝殿にて お礼のお参りをしたのち、「加波山神社健立の由来」を読んでみました。写真をクリックすると 拡大写真に切り替わります。
7. 加波山三枝祇神社本宮 拝殿 に立ち寄り(16時5分)
来るときに通過してしまった 加波山三枝祇神社本宮 拝殿 に立ち寄ってみました。
入口の大イチョウは、最後の紅葉の葉を付け、となりの赤色との コラボレーションを 見せていました。
鳥居には 「加波山大神」 の文字。山頂付近にもこの文字がありましたね・・・ 覚えていますか?
皇軍忠魂碑(こうぐんちゅうこんひ)や、加波山五社稲荷などがあり、重々しさを感じる神社でした。
紅葉の最盛期などに 一度訪れる価値 がある場所だと思います。
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