Kaakaの世界
トレッキング/日和田山〜高指山〜物見山〜北向地蔵〜五常の滝〜横手渓谷 編(2008.09.28)
巾着田の様子は、ここをクリックして下さい。
9月28日10時10分 埼玉県日高市高麗郷の巾着田にある”あいあい橋”を出発、目指すは埼玉県日高市の日高の山々です。
あいあい橋から県道川越・日高線に出て、高麗川に架かる清流橋を経由して”健脚5時間コース”を逆歩する予定でしたが、清流橋が見つかりません。
やっと見つけたのは”高岡橋”でした。
10時35分 (通称?)カワセミ街道に出ると、こんな看板があり、これを左折しました。
まもなく、道路の右側に”和田屋”という看板のお店があります。
ここを山側に向けて歩くと直ぐに、こんな看板がありました。
いよいよ 日高の山々 です。
10時40分 日高市ふるさとの森案内板がある登山口にやってきました。
10時50分 日和田山にある金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)下にやってきました。
この先、右が女坂、左が男坂 ということで、周囲の方に聞くと 男坂は岩場 とのこと。 今回は、岩場の男坂を選択しました。
少し登ると、岩場に滝不動尊がお祀りされていました。
さあっ! ここからが 難所? です。しかし、これまでのトレッキングと比べると、体の負担は ゼンゼン 感じませんでした。
11時20分 日高山山頂(305.1m)の下にある金刀比羅(ことひら)神社の鳥居まできました。
鳥居の左下の遥か先に見えるのは、巾着田です。
このトレッキングで一番の眺めでした。
さあ、日高山山頂まであと、50mの標識です。
そしてそのまま進めば、高指山(たかさしやま、330m)が待っています。
高指山を過ぎ、右手に無線塔を見みて直ぐに、”日高 公衆便所”がありました。
まさに 便所 ですが、トレッキングコースの途中でのトイレは助かります。
12時 物見山登山口に到着しました。この上の広場で昼食を食べました。
12時20分出発。名もない小さな神社を過ぎると、物見山(ものみやま)山頂です。
日高山305.1mから高指山330mを経て来た日高市の最高峰・物見山375.4mです。
山の名前といい、さぞかし見晴らしがいいのかと思えば、木々に遮られ いまひとつ さえません(写真を忘れました)。 物見山でもそうでしたが、ここでも標識の前でお昼を食べている集団がいました。
写真を撮りたくともこれでは撮れません。しかし私たちは、『すみません、写真撮りたいので・・』と言いつつ入っていきました。
すると、お○様達は”あ〜ら!、お邪魔かしら?”だって、正直 邪魔です。
車道を横断するところに出てきました。
標識に従って、道路を横断して 目指すは 北向地蔵 です。
北向地蔵の由来は右の写真をご覧下さい。
さあ、”五常の滝”経由で巾着田に向けて 帰路 です。しかし、こんな標識がありました。
右が、”土山〜五常の滝〜武蔵横手駅”、左が”五常の滝〜武蔵横手駅(近道)”とありました。
皆さんならどちらを行きますか? あっ そうそう、右を指す標識には何方かの手書きで”土山〜五常の滝〜”の右側に”ユガテ”とマジックで追記されていました。そちらを目指す方は右手をどうぞ。
私たちは、左の道を選択しましたが、何の変哲もない”近道”でした。皆さんは是非右の道を歩き、感想をお聞かせください。
13時30分 ”五常の滝”に到着です。
日高市のHPによれば『日高市を代表する滝です。五常とは、人として常に守るべき道徳の「仁・義・礼・智・信」のことをいい、いつのころからか五常の滝と呼ばれるようになりました。あたりはさわやかな木立に囲まれ、落差は約12mあります。また、滝壷には滝不動尊が祀られていて、地元の人びとの信仰を集めています。』との説明がありました。
14時00分 国道299号とのT字路に来ました。武蔵横手駅は直ぐ目の前です。
国道を渡り、住宅街を歩くと”横手神社”がありました。14時05分
諏訪神社を過ぎるとまもなく”諏訪橋”です。諏訪橋の上から横手渓谷を撮影しました。
諏訪橋を渡り、突き当りを左折すると、目立たぬY字分岐点があります。
左に お地蔵様 があるので、目印としてここを左折すると横手渓谷を渡る”木の橋”があります。
14時17分 横手渓谷に架かる 木の橋 です。
道路からチョット登った高台にある石器時代の住居跡を見てきました。約4,500年前の縄文時代中期の遺跡で昭和4年に発掘されたそうです。
円形で直径約6m程。柱を立てた穴もありました。多数の土器、装飾品、石釜、石皿などが出土したそうです。
台の高札場(だいのこうさつばあと)がありました。”高札”とは今で言うところの”官報”ですかね・・幕府の基本姿勢や重要な事項の周知徹底を図ることを目的とした”お知らせ板”です。”台”は、高札が設置された地名です。