Kaakaの世界/トレッキング/埼玉県_武蔵の小京都 嵐山(渓谷)_前編(2020.11.28)
〇 2020年11月28日(土曜)
9時50分 埼玉県比企郡嵐山町の嵐山渓谷観光駐車場に到着。
駐車台数約30台、無料でトイレもありました。
今日は、武蔵の小京都 嵐山渓谷の紅葉散策に来ました。
京都の嵐山は「あらしやま」、ここ武蔵の嵐山は「らんざん」です。
その名称の由来などは、下記を参照ください。
本日のコースは下記の案内図の丸数字の通りです。
@が嵐山渓谷観光駐車場、Bの展望台に進み、Cの細原で折り返し。
Dの展望台に戻り、Eの冠水橋を渡り、Fの撮影スポットへ、
来た道を戻り、Gの飛び石を渡り Hのバーベキュー広場からぐるりと回り
Jあずま屋 Kの大平山頂 Lの展望台に戻り、M槻川(つきかわ)の水辺に下りて渓谷を歩き O嵐山渓谷観光駐車場に戻る。
上の案内図をよく見てください。右下に「薄紫色のエリア」があります。
ここは、「千年の苑ラベンダー園」です。
「2019らんざんラベンダーまつり」では約8万人が来場したそうで、私達も2019年6月16日に訪れています。
その時も、嵐山渓谷の一部を散策しています。
さて、嵐山渓谷観光駐車場から嵐山渓谷を散策しようとすると、道が2つあることに気づきます。
・トイレのすぐ後ろにある遊歩道(上の案内図のO)
・駐車場の上に見えている「嵐山渓谷にようこそ」の看板に続いている遊歩道(上の案内図の@)
近くに、バイクの方がいたので聞いたところ、看板のある所から歩くのが一般的と教えてくれました。その理由は、最後に説明します。
歩き始めて間もなく左手に、名もなき?祠が祭られていました。
ほどなく、「武蔵の小京都 嵐山渓谷の紅葉」の始まりです。
10時10分 展望台に到着。ここには「嵐山町名発祥之地」という石碑があります。
昭和3年に本多静六博士がこの地を訪れた際「京都の嵐山にそっくりだ、ここは武蔵嵐山」とつぶやいたのが町名の由来だとか・・・
展望台付近の紅葉です。
更に奥に進みます。
途中、野生の柿?を撮っている?カメラマニアが数名いました。その先には「冠水橋」が見えていました(左下写真の下の方)。
10時20分 与謝野晶子歌碑に到着。
昭和初期、「嵐山渓谷」に与謝野晶子さんと娘さんが訪れ、「比企の溪(ひきのたに)」29首を詠んでそうで、その中のひとつ、「槻の川 赤柄の傘をさす松の 立ち並びたる 山のしののめ」が歌碑に刻まれていました。
この歌が詠まれた当時、嵐山渓谷には赤松の林があったそうですが、現在は松くい虫にやられてほとんどないそうです。また、昔は篠竹で編んだものを網戸として使ったそうで、「篠の目」から光が射すこと、即ち「夜明け」を意味するようで、夜明けの薄明かりのなかで、槻川沿いに立ち並んだ幻想的なアカマツ林を詠ったものだそうです。
歌碑の先が細原のススキ群です。
ここでもこのススキを撮影する方達がいました。
ここは、戦前は料理旅館「松月楼」があり、戦時中は学童疎開の宿舎となり、その後、神楽坂にあった割烹「一平荘」が、赤坂本店の支店として、昭和30年頃この地に開業したが、オーナーの不慮の事故により閉店し、更には焼失し、今はススキ野になっているらしい。
ススキ野の先は、嵐山渓谷を造っている槻川の流れが180度曲がる頂点「ごりん沢」です。
確認できませんでしたが、「町元の滝」が対岸にあったようです。また、昔から「提灯お化け」がでるので有名な場所という紹介もありました。
10時55分 展望台に戻り、右折し「冠水橋」を渡る。
大水の時は、橋桁の上を水が流れ、橋が破壊されないように工夫された橋です。
上の大きな案内看板の右上側に書かれているのが、昔の橋で、冬の間だけの「木造の季節橋」だったそうです。
渡った先で、槻川の河原を歩いていくと、右手上に先程の展望台が見えてきました。
11時5分 槻川の撮影スポットに到着。
対岸奥には、キャンプの方が火を起こしていましたが、河原で裸火のように見えました。木炭は腐らずに残るはず・・・。
さて、この辺りにピンク系の岩(紅れきせき片岩)「乙女岩」があるというが、分からなかった。
撮影スポットで折り返し(右上写真)、冠水橋を再度渡って、槻川沿いに右手に進む。
11時22分 「飛び石」が見えてきました。
「飛び石」は、2015年に作った遊歩道の一部という紹介記事もあったが、詳細は不明です。
飛び石を渡ったら、その飛び石で再び戻って 大平山に向かう道を登る予定でしたが、右下写真のAの位置から上がる道があるのかと考えていたが、その道を歩いてみると 藪だらけ?
このAのルートから登るのをあきらめて、再度 飛び石を渡り 左折して進み、「嵐山渓谷バーベキュー場」を目指すことにした。
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