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KaakaChan's World(Kaakaの世界/トレッキング/笠間・吾国愛宕ハイキングコース
(団子石峠〜難台山〜すずらん群生地入口編 2017.12.17) _ 後編)

難台山

 前編は ここをクリック してご覧下さい。

割れた石 急坂
〇 2017年12月18日 11時10分。
屏風岩を離れ、旧坂を登る。

間もなく、大きく割れた石が出現。
割れた後、左側の石が割れ口を下にしてズリ落ちたのだろうか?
 11時16分 「難台城跡」に向かう標識を見つけた(左下、中央写真)。
 11時25分 「城址内通路」の看板が出てきた(右下)。
看板 難台城跡へ 看板

城址内を歩いてみたが 古城に関する知識のない私には何が何やら 城址らしきものが見つからない。案内看板もない?
   ※ 後でわかったことだが、左下写真の石が城であった印とか?
11時30分 何も見つからないまま「城址内通路」の下側の看板まで来てしまった。ここまでが城址内のようです。
看板 分岐 城内道
 では、難台城とは?
茨城県教育委員会HPと茨城県教育委員会説明板から編集すると
『難台山城址(なんだいさんじょうし)
 難台山城址は、南北朝時代の南朝の勢力が失われようとしていた元中4年(1387)小田第8代孝朝(たかまさ)の子、五郎藤綱(ふじつな)が南朝方の小山義政の三男小山隆政若犬丸に加担して真壁顕幹から兵糧等の支援を受けて難台山に拠り挙兵したところです。
 一方北朝方(足利方)は上杉朝宗を将として攻めましたが、小田五郎はよく奮闘し南朝のため気を吐きました。朝宗は攻撃に手を焼き、常陸国太田の城主佐竹義宣、山尾(十王町友部)の城主小野崎通郷、江戸郷(那珂市)の城主江戸通高らの応援を受け、難台山城北東の舘岸山城(たてぎしじょう)に拠って持久戦法をとりました。
 上杉方は度々攻めたが容易に落ちず、元中五年(1388年)佐竹氏により真壁方面からの糧道を絶たれてしまったため、同年五月小田五郎は手兵と共に打って出、戦死したと伝えられている(部下と共に自刃したとの記載もある)。
 小山若犬丸は囲みを破って逃れ、後、応永四年(1397年)奥州で旗揚げしたが、玉造の城主烟田重幹(かまたしげみき)の追討を受け、敗れて自害した。
 難台山城は南北朝争乱における常総南朝の決定的壊滅をもたらした合戦の故城である。
 城跡は、難台山頂近くにあり、雑木林の中にわずかに石を組んだ跡が残っています。
    県指定文化財 史跡 指定日:昭和9年5月18日』

 このように有名なようで、麓側には「小田五郎追弔碑」「首洗いの滝」などがあるらしい。興味のある方は行ってみてください。
参考に、笠間市立岩間第二小学校のHPの「首洗いの滝」の説明文を読んでみてください。
 また、常世の国の恋物語百・第26話 /朗読舞劇「難台山城 落城哀歌」 脚本 白井啓治 も読んでみてください。

図 図
 11時45分 難台山頂に到着。方位図がありました。
難台山(なんだいさん)は、国土地理院25,000分の1地形図の最新では552.8mとなっています。

 西南西から西の方角に 筑波山(876) 〜 足尾山(628m) 〜 加波山(709m) 〜 雨引山(409m) の山並みが見えました。

 山頂で山並みを見ながらの昼食。
難台山 難台山
赤い実 進む
 12時20分 昼食を終え、すずらん群生地入口まで行くことにした。
こんな真っ赤な実を付けてた植物がありました。
 12時40分 「すずらん群生地入口」の看板のあるところまで来ました。
すずらん群生地入口 すずらん群生地入口 帰りの時間を考えて、今日はここまで。
 さて、スズラン(鈴蘭)を調べてみました。谷間の姫百合(たにまのひめゆり)の別名もあり、観賞用に栽培されているものの多くはヨーロッパ原産のドイツスズランで、葉と花が同じ高さで開花するのに対して、ここに群生するスズランは「日本スズラン」で、葉の下に花が咲く、日本女性のような奥ゆかしい花です。
 そんなスズランの群生地を守るために電気柵で囲っているそうで、開花は5月のGW明け頃が平均的なようです。
大福山
 すぐに、同じ道を引き返すことに・・・ 途中、知り合った方に聞くと、国土地理院の25,000分の1の地形図には 愛宕山、難台山、吾国山しか記載がないが、ほかにも名のある山があるという、大福山・団子山・・・だという。

 13時26分 来るときには気づかなかったが「大福山」と書かれた看板を見つけた。
地形図によれば452mのようです。
団子山 三角点  13時35分 ハイキングコースのど真ん中に三角点を見つけたが、山の名前が書かれた看板が見つかりません。

やっと見つけたのが 壊れかけた看板・・・ 文字は全く読めませんでした。
三角点の標高は地形図によれば431.8mなので、これが団子山なんでしょう。
団子石峠
 13時50分 団子石峠(298m)まで戻ってきました。
今朝と比べて、車が1台増えていました。

 次回は、福原側から 吾国山 〜 道祖神峠 〜 すずらん群生地 を往復することにします。

道祖神は、普通では「どうそじん」と読むが、ここでは道祖神峠を「どうろくじんとうげ/どうろくしんとうげ」又は一部で「どうそがみとうげ」とサイトによりいろいろな読みが紹介されていました。
一方で、「どうろくじん」は「道陸神」と書くのだと紹介するサイトもあり??? 地元人に会ったら聞いてみます。

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