PROFILE『Chanの某国滞在記』/ 某国赴任3周年記念食事会 & 九朔頂斎長城へ行く _ 後編
2016年6月5日(日曜)
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〇 6月5日(日曜) 今日は錦塀山系九朔頂の斎長城を目指すことに・・・
7時50分 「△陽街道陳庄防火◎口」( △:月+句、◎:上+下)と書かれた看板のあるところに到着。
これまでも見ていた看板だが、気にも留めずに見ていたので、何と書いてあるか調べてみた。
「△陽街道」の「陳庄」における防火検問所という意味でしょうか?
「街道」は、日本での意味とは少し異なるようです。省級→地級→県級→郷級とある行政区分の「上位自治体の轄郷郷」を「街道」と呼ぶそうです。
そして、◎(上+下))の文字は、日本語では"そう"と読むようで、某国では「動詞:阻む、締め付ける。名詞:カード、検問所」として使われると言う。だから、「防火のための検問所」と訳した。
これから 前方に見える斎長城を目指します。
7時55分 堰堤です。
堰き止められた水で 洗濯をしています。
いつもの光景です・・・
最初は赤土?の道を登り、まもなく 岩だらけの道となります。
こんな道を すれ違う者もなく 黙々と登って行きます。
山頂までに出会ったのは、私を抜いていった者 一人だけでした。
8時30分 斎長城に到着。
この最後の上りが 結構きついのです。
砦のような/物見の建物?もあります。
城壁を横から見るとこのようになります。
8時45分 下山開始(下写真)
某国でもこんな落書きが至る所にあります(左下)。
「加油」は動詞として「給油する」の他に、「体当たりする。頑張る。出来る限りの努力」という意味があるようです。「謝呆萌」は人の名前です。
舗装道路を止めて、途中から錦塀山系の山の中腹を周回する自然道に入る。
9時20分 右前方に展望が開け、断崖絶壁に立つ文峰塔が見えてきました。
更に中腹を周回する。
9時28分 舗装道路への降り口に到着。
9時36分 舗装道路から少し中に入ると 4つの石像を見ることができます。
下中央の斧を持ち、黄色の腰巻をした石造のすぐ下(右下写真)(登ってくるときは手前)、を木々の中に入っていくと 人の歩いた道があります。
それを道なりに登っていくと、電柱があるので、電柱に沿うように登っていくと斎長城へ・・・、今回は今朝来た方面に戻るので、それを横切って西に進みました。
入っていくと、桃畑を横切ります。
桃が赤みを帯びてきました。
9時52分 展望が開けてきました。
9時57分 麓まで下りてきました。
ここでも洗濯しています。
沢の先を右に折れて歩いていくと、建物のある敷地内に出ました。
その建物には看板があり、左右にそれぞれ下の写真のような看板があった。
敷地内の裏山側から入ってきたので、門から出て撮影したのが右の写真です。
「士徳山荘」と朱文字で書かれた大岩もありました。
この門/建物の先には、どこかに「蜘蛛山」があるなんでしょうね・・・
10時32分 帰り道の市内中心部に入る交差点です。
町中に、「麦藁」が落ちている季節となりました。
以前にも紹介しましたが、この国の脱穀は、機械を使う脱穀の他に "麦の穂を、麦藁ごと路上に敷いて、自動車に踏ませて脱穀する" スタイルが今でも続いています。
10時50分 マンション(宿舎)に戻る。
ではまた来週・・・
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