当ホームページの管理人『Chan』が、HPの基本から学ぼうと作ったものです。
作成していると、Kaakaが「私の分も載せて!」と横から割り込み、夫婦の趣味(鯉釣・DIY・トレッキング・草花)を紹介する当HPができました。特許権・商標権・著作権について知っていると便利な情報もあります。初めてご利用の方は ご利用上の注意点 を同意の上、ちょっとお寄りになって、ご覧ください。

PROFILE『Chanの某国滞在記』/朝起きると雨・・・雨上がり後 近場の孔望山へ _ 後編

2016年2月28日

 前編はここをクリックしてご覧下さい。

看板

南西入口
 9時40分 国家級AAAA級旅遊景区孔望山の 南西入口に到着。

この入口から入るのは 初めてです(上写真の左下にある入口です)。
上に、前景図を載せましたので参考にしてください。
金烏石/饅頭石 石蟾蜍  入口からまもなく右にそれる道を進むと、長さ2m・幅1mほどの「石蟾蜍」が見えてきます。およそ2000年前の物とのこと。
「蟾蜍」は「ひきがえる」と読みます。

 その左手100m先には、「金烏石」(「饅頭石」とも言う)があります。高さ5.2m、直径2.87mの岩で、「烏」は「とり」ではなく「からす」です。 
 孔望山の麓に来ました。
孔望山は錦屏山系の山で、錦屏山の東北に位置し、東西800m、南北300m、標高123mの小さな山です。
孔子(紀元前551年-前479年)が高弟を連れこの山に登って東方の海を眺めたことから、「孔望山」と呼ばれるようになったと言う。
ということは、2500年前はここから海が見えた?・・・ 信じられません・・・

 後漢代(25年 - 220年)に造られたと言われている「石象」です。高さ2.6m、長さ4.8m、背幅3.5m。
後漢代のこの国に象がいたかどうかを検証する重要な資料とも言われています。
石象 石象 石象 
摩崖石刻 摩崖石刻
 南麓の最西端には、東西17m、高さ8mほどの大岩に105個の造像が18組にわかれて存在する「東漢摩崖石刻」がある。
某国では、「後漢」のことを「東漢」と呼ぶようです。
岩の上
 孔望山は標高123mの山ですが、写真の撮り方により ご覧の通り・・・
 1989年に再建された「乗槎亭」です。 ここから東の方角を見ると、「孔子望海像」や「杯盤石刻」(三角点と展望所の間)のある位置も見えました。 東の峰 乗槎亭
孔子望海
 「孔子望海像」です。

 すでに説明したように、およそ2500年前、孔子はこの山に3回登ったといわれている。
当時の孔望山は海に突き出ていて、孔子は海上から2回登ったと言う。2500年間で海水面は後退し、更に空気が汚染されているために遠方を望むことはできない。
 1993年に孔子を記念して「孔子望海像」が造られたと説明するサイトを見つけました。
中央の石像が孔子で、両側はそれぞれ孔子の弟子のようです。
杯盤石刻 杯盤石刻  孔望山の山頂付近には、長さ320cm、幅200cm、厚さ70-120cmで、底を3つ石で支えているすずりの形をした「硯石」がある。
平面中央には直径40cm程の皿の形の窪みがあって、周囲には8個の窪みがあります。
確認していないが、この岩の東北側には文字の径14cm程の隷書体で“硯石”とあるそうで、東漢代の物とされています。
 なを、この硯石は「杯盤石刻」と呼ばれ、「杯」はコップ、「盤」は皿鉢を意味し、酒席の道具です。
 右後方の「乗槎亭」方面を見たのが、左下写真です。
左奥の 白いポールのある辺りが入口です。乗槎亭の手前に見える人達は何をしているかわかりますか?・・・ 右下写真の通り某国流娯楽です。
人 望む 
 龍洞庵方面を見ていたら、赤っぽいものを発見。近づいてみると・・・・
この下からは、お経が聞こえています???
赤っぽい 赤っぽい 赤っぽい 
 龍洞庵です。本堂は再建工事中です。
龍洞庵 龍洞庵 龍洞庵 
赤 龍洞
 龍洞庵の南西の下には、「龍洞」があり、ここは龍洞広場と言われています。
その上を見上げると、確かに先ほど見た「赤い物体」を確認することができ、上からお経が聞こえてきました。
あんな小さなソーラー発電でお経を流しているとは思えないのだが・・・
 11時30分 入口まで戻ってきました。今日の ミニトレッキングは、2時間弱で終わりです。

では また来週・・・

前編は ここをクリック してご覧下さい。

Chanの某国滞在記に戻る  このページのトップに戻る↑


PROFILEへの来訪 人目

inserted by FC2 system