PROFILE『Chanの某国滞在記』/花果山を登るはずが、孔望山に変更_後編
前編はここをクリックしてご覧下さい。
2015年7月12日 9時35分 歩いて孔望山に到着。
電動自転車が順調に動いていれば、今頃は花果山の中腹まで登っている時刻です。
ミニひまわりとコスモスが私を出迎えてくれました。
台風が過ぎて、PM2.5を吹き飛ばしてくれたのか、西の方角が良く見えます。
何度も登っている錦屏山が、こんなに良く見えるのは なかなかありません。
10時2分 孔望山の山頂付近です。
私が住む町/新浦の方向も良く見え、連雲港市一番のノッポビル(四十数階建て)や、私が住むマンション付近までもが見えています。
下の写真は「杯盤刻石」です。
別名「硯石」といい、これまでも何度か『どれが杯盤刻石?』と探したが確定できずにいました。ネットで調べてみると、「杯はコップ、盤は皿のことで、杯盤は食器という意味」だと言うことから、石を上から見れば判断がつくことが分かり、説明書きにあるように、「東西の長さ320厘米(p)、幅200厘米、厚さ70−120厘米」のこの石が「杯盤刻石」のようです。
さて、歴史のお勉強です。
諸説あるが、日本の弥生時代は紀元前3世紀中頃(紀元前350年)〜紀元後3世紀中頃(紀元後250年)までにあたる時代です。
日本史上、外国史書に名の残る最初の人物は帥升(すいしょう)とされており、弥生時代中期〜後期の倭国(わこく)王とされています。
ということは、孔子(紀元前552年10月9日‐紀元前479年3月9日)は日本の縄文時代末期に某国にいた人物となり、当時の某国と日本の文化の差は相当な差であったようです。
ここから見た海州方面もかなりきれいに見えました。
10時30分 乗槎亭まで、降りてきました。
ここで信じられない光景に遭遇。ここは「国家AAAA級旅遊景区」ですが、カラオケ装置を持ち込み、熱唱している者がいたのです。
南から西方面をパノラマ撮影したのが右の写真で、青龍山公墓や錦屏山がよく見えます。
6月28日に行った 青龍山公墓や、6月14日に行った 錦屏山/九朔頂の斉長城がきれいに見えました。
10時40分 洞を見つけましたが、現在「探検禁止令」が出ているために写真を撮って終わりです。
登山観海は、「山に登って海を見る」という意味でしょうか?
「漢代石象/世界之最」という看板とともに、石で出来た象があります。大きさは、長さ4.8m、高さ2.6mで、看板によれば漢の時代に作られたのかな?・・・ であれば、前漢(紀元前206〜紀元後9)と後漢(25〜220)のあたりのものなのか・・・
南(青龍山公墓)から北西方面(海州の火力発電所)までをグルリとパノラマ撮影した写真です。
幅17m×高さ8mの摩崖造像です。ここには、110人が描かれているとのことです。
11時20分 孔望山を後にし、宿舎/マンションに向かって歩いている途中、お祝いの爆竹を準備しているところに遭遇・・・
『祝卞光陽先生、葛艶紅女士愛女卞詩文二十歳生日快楽、前程似錦、全家幸福!』
二〇歳の誕生を祝う会で、前途は明るく全家族幸福を祈るという意味でしょうか・・・
11時55分 今日も無事、宿舎のマンションに戻る。
夕方、日本から出張で来た同期入社のS氏と日本人スタッフで食事会へ・・・
行った先は、北京ダックで有名な「全聚徳」(日本にも出店)です。ところが、まともに某国語を話せる者がいないために、かつ、メニュー表が漢字ばかりで料理の中身がわからず、注文するのに一苦労・・・ まあ 何とか人数分以上の品数を注文して食べてきました。7人で1071元(約21000円)と、某国での食事としては高い方です。
今週の某国滞在記はこれで終わりです。
この週末は、電動自転車のバッテリーを買うことからスタートです。
前編は ここをクリック してご覧下さい。