PROFILE『Chanの某国滞在記』/錦屏山・九朔頂の斉長城を経て
西回りの新ルートで下山(2015.04.26) 中編
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8時37分 「九朔頂」と書かれた岩に到着。
目の前が 斉長城 です。
一般に言われている斉長城(斉の長城)は、「春秋戦国時代(紀元前770から紀元前221)に斉国によって築かれ、西は山東省清古済水河畔を起点に、青島市から海に入る。全長500キロメートル、今日まで2400年の歴史を誇る。」という説明がされている。
いろいろと調べたが、江蘇省のこの地まで長城が伸びていたという記載は見つからなかった。しかし、この地はその昔 山東省に属していたことから 斉長城がここまで伸びていても不思議ではない? 以前は、石棚山の山門の左にある大きな看板には「斉長城」と紹介されていました。
さて、下の写真は斉長城から北方面(海州区)をパノラマ撮影したものです。
斉長城を後にして、南西の方角の峰へ・・・
すると 植林されたと思われる地点に 「緑潤海州」行動(緑で海州区を潤す運動)と書かれた看板が設置されていた。
何しろ 低木しかない山々なんです。
南西の方角の峰から見た斉長城が 下の写真です。
右写真は 獣道ではありません、人が通った道です。
9時30分 大岩の下の方に 鉄塔が見えてきました。
見晴らしのいいところに出てきました(パノラマ写真)。目の前に不気味な大岩があります。
この大岩の中央付近の手前には 「中央地質部」というプレートが埋め込まれていました。
測量部でなく地質部 このプレート何の為なんでしょうかね・・・ 三角点などとは別物でしょうか・・・
さて、パノラマ写真で紹介した不気味な大岩 『もしかして、南天門』という 淡い期待を込めて 下に降りるルートを探しました。
写真ではうまく取れませんでしたが左の2枚は上からの撮影です。
右の写真は、途中まで降りて行って下から撮影したものです。結局は足場が悪く下に降りることをあきらめて、元の位置まで戻ってきました。
さて、どうするかと考えていると、左の方から声が聞こえてきました。電波塔の右下に人影を発見・・・
もしかして、あそこが「南天門」なのかもしれません。大きな岩がありますから・・・
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