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KaakaChan's World(Kaakaの世界/旅行)/岐阜県(長野県)
飛騨大鍾乳洞、馬籠宿〜妻籠宿、苗木城〜岩村城_前編(2019.10.04)

いろいろ

○ 2019年10月4日(金曜)

 今日は金曜日。
でも、会社の創立記念日としての休日です。
記念 東部湯の丸
で・・・ 初日:岐阜の飛騨大鍾乳洞・高山古町、二日目:馬籠宿〜妻籠宿、三日目:苗木城〜岩村城を目指すことにした。
 まず、国道○○号から東北自動車道〜北関東自動車道〜関越自動車道〜上信越自動車道〜長野自動車道〜野麦街道〜安房峠道路〜国道158号〜県道460号で高山市へ

 9時45分 最初の休憩地点は、「東部湯の丸SA」。何となく色付いた木々がありました。

 12時20分 岐阜県高山市丹生川町のドライブイン「赤かぶの里」にて 高山ラーメンを食べることにしたが・・・
お土産屋から入ると自動的にお食事処「いろどり」、ここで食券を買って入り席に着くと、窓ガラスに説明書きがあった。
『お食事処いろどりと吉田屋ラーメン店は別施設となっています。・・・後略・・・。』そして、吉田屋の暖簾とメニューがあったが、ドアには鍵が掛かっており、こちらからは入れない。 どうも、外からしか入れないようです。
さて、注意書きを見ると「麺はすべて同じ釜で茹でています」と書かれているが、同じ麺だとは言っていないところがミソかも?
吉田屋 説明 高山ラーメン  さてお味は?・・・・ ラーメンは やや細い縮れ麺で、うす味スープで私的にはあっている。
しかし、ミニかき揚げ丼を頼んだものの、これは脂っこく イマイチでした。
 満腹!・・・、当初の予定は飛騨市神岡町の「レールマウンテンバイク ガッタンゴー!!」
2台の自転車をフレームにがっちり固定したレールバイクで、廃線後の旧神岡鉄道のレールの上を走る予定でしたが、雨により取りやめました。
飛騨大鍾乳洞
 で・・・ 代わりに? 「飛騨大鍾乳洞」(ひだだいしょうにゅうどう)に行くことにした。
日本には、大小合わせて80ほどの鍾乳洞があるという。これまでに、行ったことがあるのは
  安家洞:岩手県下閉伊郡岩泉町(日本最長23,702m)
  龍泉洞:岩手県下閉伊郡岩泉町(7つの地底湖を有し、最深のものは-120m以上)
  あぶくま洞:福島県田村市
  入水鍾乳洞:福島県田村市(天然記念物)
  宇津野洞窟:栃木県佐野市会沢町
  出流鍾乳洞:栃木県栃木市出流町
  小平鍾乳洞:群馬県みどり市
さあ! どんな鍾乳洞かな?
大釜  飛騨大鍾乳洞の駐車場には、日本一の宿儺(すくな)鍋というまつりで使われた日本一大きい直径6.1m、重さ9トンの鉄製鍋があった。

 飛騨大鍾乳洞の発見者である大橋外吉(とよし)が、私財により集めた美術品、装飾品、銘石、姿石、奇石、化石など約1,000点を展示している「大橋コレクション館」を通らないと、飛騨大鍾乳洞へは行けない。
大橋外吉は、樺太へ渡って木材業から身を興し、戦時中軍需工場、さらに戦後は「自動ノコギリ安全カバー」で儲け、昭和30年代には神戸で自動販売機の製造で財を築いたそうです。

 「大橋コレクション館」が全国的に知られることとなったのは、鍾乳洞発見25周年を記念して、1989年に当時時価約2億7000万円をかけて製作された金塊(100.5kg)が、2007年3月18日に強奪されたときでした。
強奪犯逮捕後に取り戻された金塊(71.7kg(時価2億2000万円))は、犯人達により複数の塊や粉末にされており、奪われる前の金塊を模した鉛製のレプリカと共に展示されていた。

 この大橋コレクション館を通過しないと先にある「飛騨大鍾乳洞」に進めないシステムというのも、変なシステムです。
看板  『飛騨大鍾乳洞は、岐阜県高山市にある昭和40年(1965年)に大橋外吉が発見した観光洞部分800m、未開発洞部分1,000mの鍾乳洞で、標高900mに位置し日本にある観光鍾乳洞の中では一番標高が高い場所にある観光鍾乳洞として有名。
1968年6月15日より観光鍾乳洞として一般公開されており、この鍾乳洞は鍾乳洞内からはウミユリ・フズリナなどの化石が多数発見されていて2億5千万年前ここが海底だったことがうかがえる。
また、特に左右にねじれながら垂れ下がっている鍾乳石は「ヘリクタイト」と呼ばれ、学術的にも極めて珍しく日本では、この鍾乳洞でしか見ることが出来ない。
なお、観光化のために積極的に洞内は掘削が行われ、約800メートルにも及ぶ幻想の宮殿が訪れる人を太古の夢へといますが、内部の歩行は容易であるが、反面オリジナルの環境は広範囲に損なわれている。』(出典:複数サイトからの引用)
竜宮の夜景 内部 子宝地蔵
ストロー鍾乳石 宝船
鍾乳洞 夢の宮殿
 エリアは3つのエリアからなっており、ここまでの入り口から100mが最も美しい所と照会がされています。
 第一出口を過ぎ、「愛深スポット」というトンネルを通り第二洞に入っていく。
王冠 階段 ウドの栽培
 間もなく「ウドの栽培」エリアがあった。

 そして、昭和46年(1971年)に高松宮殿下が「王冠」と命名したものがありました。
 第三洞にはいると「大仏の耳」等があり、ストッキングを被ったような「歪んだ顔」のようにも見える 名もない奇岩(鍾乳石)もあった。
奇岩 奇岩 大仏の耳
子宝神社 子宝神社
 このように、鍾乳洞自体は非常に立派なものです。

 出口近くには、子宝神社と命名された神社があった(鍾乳洞内)。
えええ!!!それ?
子宝鍾乳洞ともいわれ、飛騨大鍾乳洞の石はかつて、子孫繁栄のシンボルとして信仰されていたそうです。
その為、子宝鍾乳洞として総重量3トンの「日本一の男子宝物石器」を建立したようで、この石をなでると子宝に恵まれるといわれ、多くの方々に祈願されるようになったそうですが・・・・
ここは、大自然が作り上げた鍾乳洞内部です、鍾乳洞の中に作るのは いかがなものか? 2憶5千万年前に海だったところに、総重量3トンの「日本一の男子宝物石器」を建立するというアンバランス感が私にはあった(個人の感想ですが・・・)。
高山グリーンホテル 高山グリーンホテル
 今夜の宿は飛騨高山温泉「高山グリーンホテル」、
自己紹介では『五つ星をいただいた大浴場 心安らぐ日本庭園、ゆとりの客室。旅の想い出に華を添えるおもてなしで皆様をお出迎えいたします。』としています。

 さて、ぶらりお散歩ということで 高山の町を歩いてきました。
高山には、全国でただ一つ現存する江戸幕府郡代役所が「高山陣屋」(国史跡)としてありました。
元禄5年(1692年)に徳川幕府直轄領となり、それ以来、維新に至るまでの177年に25代の代官(11代)・郡代(14代)が江戸から派遣されて政務が行われていたそうです。郡代は郡奉行(こおりぶぎょう)とも呼ばれる。
パンフレットによれば、一番古い建物が慶長年間(1600年頃)に建てられた「御蔵」、左下写真の表門は天保3年(1832年)に建てられたそうです。
江戸時代中期以降は、関東・美濃・西国・飛騨の4郡代となり、郡代は身分・格式が代官よりも上であるが、職務内容については代官とほぼ同じ。時代劇に出てくる(幕府直轄の)郡代は4人しかいなかったんですね。
 ここで、郡代とはどの程度の者がなっていたのか調べてみた。10代目の郡代に小野高福(たかよし)なるものがいて、山岡鉄舟の父だという。小野高福は、幕府旗本の士で禄六百石を受けていて、江戸御蔵奉行から飛騨郡代に転じたようです。
 さて、高山陣屋内は、大広間、役宅庭園など、かなりの見ものです。刑事関係の取り調べは吟味所・御白洲(南)で行われたそうで、拷問用具があったのが印象に残りました。
拷問 取り調べ 表門
 古い町並みを歩くには、まずは赤い中橋を渡ります。
間もなく、左手には高山の古い町並みが保存された地区がありました。
飛騨牛を使った握り寿司(下中央)、なんと「産科 婦人科」(右下)も街並みの中にありました。
産婦人科 握りずし 中橋
囲炉裏会席
 夕食です。

「実際の古民家を移築した囲炉裏端で、昔ながらの飛騨の郷土料理に舌鼓♪」と紹介されている飛騨牛囲炉裏会席プランを予約しました。
右写真は、最初に出た料理で、その後にも料理は出てきます。

 例えば、アユの塩焼き、日高牛炭火焼 そしてオプションで3点お酒の飲み比べ・・・ 美味しくいただきました。
3酒 飛騨牛 アユ

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