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PROFILE 『2011年から』編/東北地方太平洋沖地震にて 帰宅難民 を経験(2011.03.11)

校庭へ避難

小学校校庭に避難  出張にて、東京都中央区築地1-○-△ □ン○ビルにいた14時46分、太平洋三陸沖を震源として発生した地震に遭遇。揺れ幅と言い、揺れている時間と言い、これまでに経験したことのない揺れだった。
まもなく、京○築○小学校の校庭に避難。ここで16時20分頃まで過ごした。
『断層の破壊が始まった震源地は三陸沖だが、最終的に断層が破壊した震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んび、1900年以降に世界で発生した地震の中で4番目の規模(モーメントマグニチュード9.0)』と発表されている。出典:ウィキペディア
 朝乗って来た地下鉄は止まり、仕方なく上野駅まで歩くことにした。
12日の上野駅入谷口  上野駅まで2時間以上かけて歩き、到着したものの、「駅構内では、建物の一部が崩落の危険があり、上野公園に避難して下さい。」の主旨のアナウンスが流れ、電車は依然としてストップしていた。
そうなんです、帰宅難民になってしまいました。
こんな体験、二度とないでしょう、あって欲しくない。
 そこで、台東区○ノ○にある叔母/叔父の家まで更に歩き(19時20分頃)、その夜はお世話になりました。
翌朝、動いていた地下鉄にて上野駅に行ったものの 宇都宮線は動いていなかった。入谷口にて時間を潰したものの、電車が動く気配がなく、結局のところ叔母/叔父の家まで戻ることにした。
午後15時過ぎ、宇都宮線が動き始めるとの情報から再び上野駅に向った。
16時5分運転再開の一番電車に乗る事が出来たが、発車したのは16時51分、しかも「黒磯行」のはずの電車でしたが、「行き先変更の可能性あり」とのアナウンスがあり 結局 蓮田駅まで来て「宇都宮行」に変更となったものの、何とか自宅に帰る事が出来ました。

 さて、自宅の中はご覧の通りです。
買い換えた地デジテレビ46インチと40インチは固定してなく、Kaakaが必死で46インチを支えたらしい。運よく40インチは落ちなかったが、パソコンの22インチモニターと、ブラウン管式のアナログテレビ28インチは落下の憂き目に・・・。
この他にも、ミシンが落ち、本棚は倒れ、リビングボードの戸が開き中のガラス製品はほぼ全滅・・・、倒れなかったものとしては、机やベッドは20センチほども動き出し、あの重いピアノまでもが動いていた。
室内 室内 室内 室内
物置 崩落した瓦屋根(ぐし) 落ちた瓦  翌朝、外に出てみると 2階建て物置の瓦屋根の グシ(棟瓦)とクダリ(降棟) が落ちていました。
近所でも 被害を受けた瓦屋根の家々があり、噂では「修理に2年待ち」とも言われています。
まずは、自力にて仮補修。この修理にどれほどの費用がかかるのか? 分かりません。
ブルーシートで仮補修 グシのようす 屋根の上にて 屋根の上にて
 そして停電に断水。 電気は14日、水道の完全復旧は15日でした。
この程度の被害で済みましたが、東電・福島原発の影響をまともに受けている方々を思うと、頑張らねば・・・


PROFILEへの来訪 人目

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