晃石山に行った帰りの/大中寺 写真集

2010年2月7日

参道と山門  晃石山に行った帰り、時間があったので 立ち寄りました。

 太平山 大中寺(おおひらさん だいちゅうじ)は栃木県下都賀郡大平町西山田にある曹洞宗の寺院で関三刹(かんさんさつ)の1つ。はじめ真言宗の寺として久寿(きゅうじゅ)年間(1154〜1155)に建てられたが、その後、衰退していたのを快庵妙慶禅師(かいあんみょうけいぜんし)が延徳(えんとく)元年(1489)に曹洞宗の寺として再興したという。詳細は、下の看板を参照下さい。
 なお、境内には七不思議があり、今昔物語、雨月物語の舞台となる。
      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  注)関三刹は江戸時代に曹洞宗の宗政を司った3箇所の寺院。
    大中寺 - 下野国(栃木県下都賀郡大平町)西山田
    總寧寺 - 下総国(千葉県市川市)国府台
    龍穏寺 - 武蔵国(埼玉県入間郡越生町)
看板 看板

1. 木造地蔵菩薩半跏像 大平町指定文化財
看板 看板

大中寺の七不思議 2. 大中寺の七不思議

上田秋成(うえだ あきなり)の「雨月物語」にある青頭巾はこの寺を舞台として書かれたものらしい。また、この寺に伝わる七不思議の伝説も有名である。

     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・上田 秋成:享保19年6月25日(1734年7月25日) 〜 文化6年6月27日
 (1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、
 国学者、俳人。怪異小説「雨月物語」の作者として、とくに知られる。
・『雨月物語』(うげつものがたり)は、上田秋成によって江戸時代後期に
 著わされた読本(よみほん)の代表作。
  五巻五冊。明和5年(1768年)序、安永5年(1776年)刊。
 日本・中国の古典から脱化した怪異小説九篇から成る。
 近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い。
1) 東山一つ拍子木(ひょうしぎ)
看板 東山一つ拍子木
・・・寺の東の方のある山で拍子木の音が一声聞えるとかならず寺に異変が起きると伝えられており、その音は住職にだけにしか聞こえないと・・・・・・。いう。
2) 馬首の井戸
看板 馬首の井戸
・・・土地の豪族、晃石太郎(てるいしたろう)が戦いに破れ寺へ逃げ込んだときかくまってくれないのを恨み、馬の首を斬って井戸に投げ入れたが、後になって井戸の中から、いななきが聞えたという。
3) 開かずの雪隠(せっちん)
看板 開かずの雪隠
・・・土地の豪族、晃石太郎の妻が敵に追われてこの雪隠の中に逃げ込げこんで自害してからというもの、開けられたことがないと言われている。

   注)雪隠]:便所。
     古くは「はばかり」や「厠(かわや)」
     「手水(ちょうず)」とも言った。
4) 不断の竈(かまど)
不断の竈
・・・ある修行僧がなまけ心から、竈の中に入って居眠りをしていると、それとも知らず寺男が火をたきつけたため焼け死んでしまった。それ以来、このようなことのないようにと竈の火を絶やさなくなったという。
5) 油 坂
看板 油 坂
・・・ある学僧が燈火欲しさに本堂の燈明の油を盗んで追われ、この石段からころげ落ちたのが因で死んでから、この階段を上下すると禍にあうという。
6) 枕返しの間
枕返しの間
・・・ある旅人が寺に一夜の宿を乞い、この部屋で本尊の方に足を向けて寝たところ、翌朝、目が覚めると頭が本尊のほうに向いていたという。
7) 根無し藤
看板 根無し藤
・・・大中寺開祖、快庵妙慶禅師が鬼坊主の霊を葬うため、墓標としてさした杖から成長したといわれる藤の古木である。
「雨月物語」の「青頭巾」の話

 いろいろなサイトを見させていただいたところ、七不思議のうち「馬首の井戸」と「不開の雪隠」に近いと思われる逸話があるらしいが、明治時代に当時の住職がアレンジして、現在の七不思議となっているとのサイトもありましたが、真実やいかに・・・。

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