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Kaakaの世界
トレッキング/栃木県・清水寺〜晃石山〜桜峠〜清水寺 編(2010.02.07)

晃石山のパノラマ

晃石山(てるいしさん 419.1m)は、栃木県南部の栃木市・大平町との境にある山で、太平山とは尾根続きとなっています。

車利用のコースとしては
   1)左回り:大平山/大中寺から登る
   2)最 短:清水寺から直接 晃石山に登る(比較的、急です)
   3)右回り:桜峠を経由して登る
がありますが、今回は、
     清水寺から 直接 晃石山に登り 桜峠を経由して 清水寺に戻る
というコースを選択しました。

1. 清水寺駐車場

 さて、清水寺を何と読むでしょうか?・・・きよみずでら、せいすいじ、しみずじ・・・
ネットで調べると 日本全国 数知れぬほどの清水寺があるようで、栃木県大平町の清水寺を天台宗金滝山清水寺(せいすいじ)として紹介しています。
 私のカーナビで”せいすいじ”を指定するとヒットするのですが、 イザ 行ってみると、道が細すぎ カーナビが案内してくれません。
清水寺を目指して 自分の感ナビ で進みました。

清水寺前
清水寺の看板 清水寺  ところで、ネットで調べると 一部のサイトで  金山清水寺 として紹介していますが、ここでは、お寺の看板通り 金山清水寺 とします。
なお、聖武天皇御代(西暦739年)までさかのぼり、本尊は阿弥陀如来、下野観音霊場26番札所(東国花の寺百ヶ寺札所)として参観人が多いとのネット情報です。

          仏足石(ぶっそくせき)
仏足石は、仏教の伝来している各国で尊崇されております。
健康維持は大地を踏む二本の足から・・・という理由で、健脚、健康、身体安全などのご利益を受けていただくため安置いたしました。
石碑の前に立ち仏足石に触れた手で足や腰をさすって下さい。
健康維持は、神仏の御加護とあなた自身の努力が大切です。 (看板より)
仏足石 仏足石に乗り 患部をなでる
 清水寺前には看板(左下写真)がありましたが、これから登る晃石山に関しては、全く?利用価値のないものでした。
そこで、標識にある「左に桜峠」「右に大平下駅」を頼りに、右に50m程進み、「晃石神社」の標識を目印に登って行て行くこと百メートあまり、左手に十三仏尊像が見えてきました。
参道を 晃石神社方面へ 清水寺前の標識 清水寺前の看板

2. 十三仏尊像 〜 観音堂

                  十三仏尊像
 人が亡くなった命日(忌日)に行う十三回の各法要に合せて、その忌に故人を守る本尊として、 一 明王・ 五 如来・ 七 菩薩をあてはめたもので、各々の御仏が法刀をもって衆生を導いてくれます。
 亡き親を慕い、先立ちした肉親を偲び心静かにご参拝下さい。  (看板説明より)
清水寺前
清水寺前  十三仏尊像を過ぎると 正面に 観音堂 が現れ、御堂には県指定文化財である十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ)があります。
以下、看板より転載。

 下野第二十六番である当観音は、古来より「滝の観音」として広く信仰された。所有管理者である清水寺(西山田)の伝承によると奈良時代の僧・行基(ぎょうき)の作とされてきたが、制作年代は体内銘によって文永二年(1265年)九月、仏師観阿陀(かんあだ)の作と判明した。
 彫眼・面長で、額に白毫(びゃくごう)が嵌入(かんにゅう)され、胸には銅板切り抜きの瓔珞(ようらく)が飾られる。頂上仏(如来相)、玉冠台上地髪菩薩相、牙上(がじょう)出相分怒相(ふんぬそう)等は残るが 大小面は欠けている。
鳥居 岩場も 階段
 いよいよ 晃石山を目指して Go!  その前に、標識通りに晃石神社を目指します。
初めは整備された 階段道ですが 徐々に岩場となり 結構キツイところもありましたが、何とか 鳥居 が見えてきました。
看板
3. 晃石神社(てるいしじんじゃ)

 晃石神社に到着です。
「関東ふれあいの道」という看板がありましたので、右に掲載しておきます。

 さて、ここには小休止&昼食をとる場所がありますので、ここで一休みできます。この先の山頂にもありますが、強風時にはお勧めできません。
晃石 晃石神社 以下、晃石神社について看板より転載。

 晃石神社は遠い昔、山岳信仰によって建てられました。当時、鏡石(神石)があって、日夜恍々(こうこう)と輝いたことにより、綾都比之神(あやとひのかみ)と称されて山田の里人に崇めうやまわれることになりました。
 天長2年(825)8月1日、左大臣藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)公より杜額を賜り従五位下に叙せられました。
天慶の乱の折、藤原秀郷(ふじわらひでさと)が必勝を祈願して勝利したので、その霊験に感謝し天慶10年(947)社を再建し寄進しました。
 兵火や山火事により何度か焼失しましたが、今の建物は文政8年(1825)に再建されたものと言われています。本殿は欅材権現造こけら葺(ひのきざいごんげんづくりこけらぶき)で装飾彫刻は当地富田の磯辺凡龍斎信秀の作です。

山頂看板前 山頂三角点前 晃石神社先の分岐 4. 晃石山山頂

 Y字路を右に太平山、左に晃石山となり、晃石山(てるいしさん 419.1m)は、栃木県南部の栃木市・大平町との境にある山で、太平山とは尾根続きとなっています。
あるサイトによれば、山頂の三角点標石を次のように紹介しています。
”設置は関八州大三角測量の時、関東で初めて設置されたものです。・・・。ここの標石は特別な三角点標石で一辺が21cmである日本一大きな一等三角点標石ではないだろうか。・・・。現在の標石は明治35年に改埋されているので初期の標石は亡失している。”
山頂から日光方面
山頂から富士山方面
手摺の道 雪の道  さて、桜峠に向けて下山を開始しました。
最初は、雪道を・・・、そして、手摺の付いた階段の道を・・・

昼食 桜峠の東屋 看板 5. 桜峠

 大平アルプス水曜会が設置したラミネート式看板によれば、桜峠の標高は275mだそうです。
ここで昼食にしました。
環境庁・栃木県が設置した看板によれば・・・

 桜峠は、晃石山と馬不入山(うまいらずやま)の間にある峠であり、表東山道(とうさんどう)と裏東山道との連絡路で山桜があるところからこの名がついています。民話では、皆川城が上杉勢に攻められ、落城した際、一人の武将が荷物を、桜峠の繁みに埋めました。その後、里人の間では、”桜峠に金の鹿の置物が埋められた”と言われていました。また、山に雪が積もった時、一番早く融けた所に埋められているとも言われています。昔は岩舟や葛生方面への大切な道でした。

6. 下山

神溜め
 下山途中、Chanの会社の同期の者が、桜峠方面に向かって登ってきました。
奥さまは仕事とのことで、お一人でのトレッキングのようです。

そして、清水寺に向むて下山を続けると、「沼に消えた鎧」という看板と共に小さな溜池がありました。
駐車場へ
もうすぐ清水寺前の駐車場です。

今回も無事下山できました。

 帰路 大中寺 に立ち寄ってきました。

           クリックすると 大中寺の写真集へリンクします。

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