安達太良山トレッキング/旧・沼尻鉱山/現・温泉の源泉地
2010年10月3日

 沼尻鉱山(ぬまじりこうざん)は、硫黄鉱山である。安達太良山の西側斜面を鉱区としており、江戸時代には会津藩と二本松藩が権利を争った。
1888年(明治21年) 欧米式の精錬方式を導入して採掘が活発化し、1900年(明治33年)7月 安達太良山大噴火による火砕流が採掘場を襲い死者72名、負傷者10名の被害が発生し採掘事業が一時停止するもののり1906年採掘再開。
 噴火による被害を乗り越え、一時は年間一万トンを超える硫黄を産出する規模となったが、1960年代に入ると石油精製の副産物由来の硫黄が市場に流通、価格が急落し、1968年(昭和43年)に閉山を余儀なくされている。
鉱山跡地付近は周辺の温泉の源泉地帯になっている。
         出典:フリー百科事典「フゥキペディア」より引用・編集

●往路にて

温泉の源泉地

遠くに 真下に

●復路にて
温泉の源泉地

遠くに 近づいて
ノ湯 近づいて
立入禁止
 硫化水素が滞留して危険性がり、立入禁止としているが、これを無視し野湯を楽しむ者がいた。

自分の命は自分で守る。

入浴するものを横目で見ながら、下山を急ぎました。
温泉の源泉地 温泉の源泉地
廃屋 温泉

 旧鉱山が1968年(昭和43年)に閉山し、その後は 湯の花 を取っていた時期もあったようです。
鉱山や湯の花生産当時に使用していた建物が一部残っていますが、ほとんどが廃屋化しており、現在は 温泉の源泉地 としてのみ利用されているようです。

 このページは 沼尻登山口から安達太良山を目指したときに見た 旧・沼尻鉱山/現・温泉の源泉地 を紹介しています。
今回のトレッキングの詳細は本編にてご覧ください。

 トレッキング/安達太良山編 へ 戻る      このページのトップに戻る 

inserted by FC2 system