Kaakaの世界/トレッキング
山形県・月山〜天童温泉〜山寺(14.10.03-04) 後編
前編(山形・月山)は ここをクリック してご覧下さい。
○ 2014年10月4日(土曜)
朝食はバイキングでした。こんなに沢山食べてしまいましたが、体重が心配です。
9時10分ほほえみの宿「滝の湯」を出発し、目指すは「立石寺」(山寺)です。
9時40分 立石寺(通称「山寺」)周辺の駐車場に到着。 駐車場は、少し離れれば300円、中心で500円です(お店を利用すれば無料)。
まず、立谷川に架かる宝珠橋の下流に対面石(左)・対面堂(右)と幸福の鐘(中央)がありました。
「・・・、860年に慈覚大師が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人・盤司盤三郎と大師がこの石の上で対面し・・・と伝えられている。・・・中略・・・。・・・この石に、左手をあてて願いをこめれば、良いことに対面できる・・・山寺名所の一つである。・・・後略・・・。」
山寺への登山口と思い登って行ったのは「日枝神社」への登り口で、108段の階段となっていました。
さて、日枝神社は慈覚大師が立石寺を開山した時に鎮守社として創建したとのことで、「出羽国山寺総鎮守」の看板がありました。
日枝神社には「山寺の大イチョウ」と言われる「御神木」があります。右手奥に立石寺本堂(根本中堂)がありました。
(登山口から登ってくるとこの立石寺本堂があります)
松尾芭蕉と門人・河合曽良の像の前で記念撮影。
10時15分 山寺立石寺の案内看板がありました。
「姥堂」(うばどう)の中には、笑顔にも見える愛嬌のある奪衣婆(だつえば)の石像があります。
奪衣婆は、三途川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた 亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼とされています。
この場所から下は地獄、上が極楽という浄土口で、新しい着物に着替えて極楽に登り、 古い衣服はお堂の奪衣婆に奉納するためのお堂です。
「みせ塚」は、芭蕉翁の句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」をしたためた短冊をこの地に埋めて、石に塚をたてたものです。
せみ塚の先に直立する岩 弥陀洞(みだほら)は、姿が阿弥陀如来に似ていることから名付けられたようです。
仁王門を通り、後ろを振り向くと開山堂・五大堂が見えました。帰りに寄ってみます。
最上義光御霊屋は、最上義明公(1614年没)と家臣ら十人の位牌が納められているそうです。
山寺の最高地です。正面右が奥之院、左側が大仏殿です。
Chanが赴任している中国・連雲港には、かつて慈覚大師が修行に来ています。その修行の際に持ち歩いていた釈迦如来と多宝如来を本尊としているのが如法堂(別名「奥之院」)です。
重要文化財「三重小塔」です。
石の中に造られたものです。
山寺山頂売店に「通信こけし」が売られていました。
こけしの中がくり抜かれており、手紙をそこに入れて こけしのまま 出すそうです。Kaakaが早速やってみました。
Kaakaが手紙を書いている間に、山寺山頂売店の中を見ると感謝状が目に留まりました。
大塚製薬様が平成25年に展開した「ポカリスエットイオンウォーター250ml」の販売で、全国第1位の販売実績となったことをたたえる表彰状です。
この売店が日本一の販売実績? 信じられず売店のお姉さん?に聞いてみましたが 実際に1位になられたそうです。すごいことです。 それだけ、この山寺の階段を登るのが大変な証拠なんですね・・・
眺めがよいと言われている 開山堂と五大堂 へ行ってみることにしました。紅葉した木も見られます。
向かって右が五大堂で、五大明王が祀られ、山寺随一の展望台でもある。
向かって左が開山堂で、この真下に慈覚大師が眠る入定窟(にゅうじょうくつ)があるとのこと。
五大堂からの撮影です。
パノラマで撮影したものを下に掲載します。
12時 立石寺本坊を経て、神楽石のある下山口まで戻ってきました。
1周するのに2時間20分、真夏では大変苦労しそうな工程です。
12時30分 面白山高原/コスモスベルグに立ち寄って見ました。
しかし、想像していたスケールとは違い、来ている者も少なく、売店もなく、寂しい高原です。
Kaakaの古いカーナビでは、ルート検索できないくらい細い山道を走っての場所です。
18時30分 無事帰宅。
今回の Chanの一時帰国でのお出かけは これで終わりです。
これから、某国に戻るための準備に入ります。
では、次は 某国から報告します。
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