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KaakaChan's World(Kaakaの世界/お出かけ
一時帰国で 水戸・偕楽園へ(2015.02.25))

偕楽園

○ 2015年2月25日(水曜) Chanの一時帰国を利用して 梅で有名な水戸の偕楽園へ

 9時10分 自宅を出発。目指すは千波湖の駐車場。
 10時55分 千波湖西駐車場に到着(500円)。水戸藩第2代藩主徳川光圀公像の前で記念撮影。
コブハクチョウ 黄門さま御一行 光圀公  光圀公/黄門様は、生誕の地の方向を向いているそうで、生誕の地がどこか、後で説明します。
近くにあった「黄門様御一行」に見立てた撮影スポットでも二人で撮影・・・。
千波湖ではコブハクチョウが出迎えてくれました。

 千波湖西駐車場から偕楽園に通じる連絡通路の上からみた千波湖の様子が下の写真です。
千波湖 千波湖
 偕楽園に入る前に、徳川光圀・徳川斉昭を祀る「常盤神社」(ときわじんじゃ)に参拝。
常盤神社の左手奥には「三木神社」があり、看板には、この神社のこととともに、TBS系で放送されていた水戸黄門が ”なぜ松下電器がスポンサーだったのか” が書かれていました。
三木神社 看板 山門 常盤神社
 『徳川光圀公は、水戸藩家老三木之次邸にて誕生し、幼少の頃はこの三木夫妻に慈育されました。また、御神裔三木啓次郎氏は、松下電器創業者の松下幸之助氏が苦労されていた若い頃に援助をされた、というご縁で、当社の鎮座の際は松下幸之助氏より多大な浄財が奉納されました。このようなことから、現在もテレビドラマ「水戸黄門」は松下電器の提供となっております。』とい説明が書かれています。
千波湖に立つ光圀公像の目線の先には、この三木邸があるようです(現在、黄門神社)。
さて、その中にある「御神裔」(ごしんえい)という言葉、聞いたことありますか? 神裔とは「@ 神の子孫。 A 天皇。また,皇族。」だそうです。
そして、三木啓次郎に関して調べると『・・・前略・・・。1918年(大正7年)、・・・中略・・・、大阪四天王寺境内を訪れた。そこで二股ソケットを販売していた松下幸之助と出会った。経済的に困窮していた松下だが、話を聞いた啓次郎が水戸の田畑を抵当に幸之助を援助した。後に成功した幸之助は恩義に答えるため、松下電器を水戸黄門のスポンサーとし、浅草寺の雷門、四天王寺の極楽門、水戸の常磐神社境内にある三木神社などに寄進した。皇室とも縁が深く「木戸御免」であったという。』(出典:ウィキペディア)とありました。
「木戸御免」とは、一般に出入り自在なことにもいうので、三木啓次郎氏が皇居への出入り自由であったことが想像できる。
猿
 さて、常盤神社から偕楽園に向かうと お猿さんの大道芸人?がいました。
「志村動物園」に出演していた「太郎次郎一門」(椛セ郎倶楽部)の芸人さんのようです。
芸が終わると「投げ銭」の要求があったので、○00円をザルに入れると「さくら」ちゃんの写真入りのポストカードがもらえました。
大日本史 茨城百景  左写真は「茨城百景 偕楽園」という石碑です。茨城百景は、1950年(昭和25年)5月10日付、茨城県告示第211号で告示された茨城県観光審議会が選定した100の景勝地です。

 右写真は「大日本史完成之地」という石碑です。黄門様が編集に着手してから250年を経て明治39年にこの地で完成しています。
梅の庭 偕楽園東門  11時23分 偕楽園東門に到着。

偕楽園は、国の史跡及び名勝に指定されており、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられています。
 11時45分 好文亭に来ました。
 好文亭は、徳川斉昭公により詩歌の会や茶会などを催すために天保13年(1842年)に創建されたが、昭和20年(1945年)8月2日の空襲で全焼し、昭和30年から3年かけて復元された。その後、落雷により奥御殿が消失したものの復元された。しかし、先の3.11大震災では大きな被害を受け復元されて現在に至っているとのことです
好文亭 庭 好文亭 看板
好文亭 千波湖 千波湖  好文亭の名前の由来は、中国の故事「文を好めば則ち梅開き,学を廃すれば則ち梅開かず」により,梅の異名を「好文木」(こうぶんぼく)といったことから、命名されたと云われているとの紹介がありました。
 ここに座り偕楽園や千波湖を眺めていたようです。
 「水戸の梅大使」との記念撮影もしました。しばらくすると梅大使が入れ替わり、黄門様もご一緒に ハイ パチリ・・・
さて、「梅むすめ」でなく「大使」としたところに、ミソがあるようです。「むすめ」でなくとも成れるのです。
梅 梅 梅大使 梅大使
 10人の梅大使のうち、4人しか今日は会えませんでしたが、10人揃った写真を見ると、昔風の顔から今風のお姉ちゃんまでいて、着物が似合う方、「むすめ」とは言えないおばちゃんぽい親しみやすい方など様々なタイプが選ばれているようです。
水戸観光協会の募集要項は、男女雇用機会均等法改正や男女共同参画社会基本法の施行をうけ、下記のようになっています。
  1)18歳以上(高校生を除く)の男女であること。
  2)健康で明るい性格であり、かつ水戸愛にあふれている方。
  3)早朝などの場合でも市内へ通勤可能な方。
  4)事務局が指定した日に勤務が可能な方。
  5)ほかのコンテストで入賞をして現在活動中の方は出来ません。
年齢の上限もなく、男でもなれるようですが、2001年の初代「水戸の梅大使」からこれまで全員が女性だそうです。
であれば、「梅娘」「梅むすめ」の方がいいなぁ と 思っているのは Chanだけかな?

南崖の洞窟 南崖の洞窟 千波湖  偕楽園の南端から下を見ると、梅の花と千波湖を一緒に見ることができます。
さて、偕楽園は七面山を切り開き造られたもので、南の崖に行ってみると「南崖の洞窟」という看板があった。看板によれば『この洞窟は今から約350年前の第二代藩主徳川光圀公時代から第九代藩主徳川斉昭時代にかけて「神崎岩」(かみさきいわ)と呼ばれた石を採掘していた跡の一つです。・・・後略・・・。』とあり、神崎岩は、笠原水道の岩樋にも使われたと書かれていました。

 13時30分 千波湖まで戻ってきました。
来た時は、光圀公の像の前で記念撮影しましたが、今度は「徳川斉昭公・七郎麻呂(慶喜公)像」前で記念撮影です。
湖畔では、黒鳥とコブハクチョウとも記念撮影・・・・ 明日(2月26日)は赴任先の某国に戻ります。
コブハクチョウ 黒鳥 黒鳥 親子像
 では、日本で次回お会いするのは、秋の国慶節での一時帰国となります。
皆様もお元気で・・・

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