KaakaChan's World / Kaakaの世界・トレッキング
(茨城県)富士山のつつじ公園〜佐白山を歩く_前編 (2018.04.22)
「朝になっても行き先が決まらないっ!」と言う訳で、今回も緊急夫婦打ち合わせ?・・・で、つつじが咲く頃だということから、茨城県笠間市の富士山(ふじやま)のつつじ公園〜佐白山(さしろさん)を歩くことにしました。
10時15分
笠間稲荷駐車場に到着。
まず、坂東二十三番札所「正福寺」から富士山のつつじ公園へ登っていきます。
『この寺は、651年(白雉2年)に創建されたと伝えられ、当初山号は三白山と号し・・・その後・・・再建され・・・1590年(天正18年)に再興され勝福寺と改められたが、江戸時代に入り1686年(貞享3年)に正福寺となった。・・・、1930年(昭和5年)現在地に仮の本堂が建てられた。その後、寺号を観世音寺と称した時期もあったが、2012年(平成24年)に正福寺に改称された。』出典:ウィキペディア
10時58分
182.1mの富士山(ふじやま)の山頂まで登ってきました。
途中、山頂までが「つづし公園」になっていて、この時期は入園料400円(JAF割引で・・・)です。
野点(のだて)にて、お茶をふるまっていました。南の方向に見えるのが、これから登る佐白山です。
11時12分 つつじ公園から降りてきました。
看板があり、地図もありました。この先には、「大黒石」があるようです。
さて、大黒石の説明には『 鎌倉時代の初めに、佐白山の僧兵と、七会の徳蔵寺の僧兵が争っていた。佐白山の僧兵は、戦いに敗れ、佐白山頂近くまで逃げ延び、山上にあった大黒石をころがした。七会の僧兵は、大黒石の下敷きになり多くの死傷者がでた。佐白山の僧兵は危く難を逃れることができたといういい伝いがある。』という。そして、大黒岩の中央にあるへそ目がけて3回石を投げ、1回でも入れば願いが叶うという・・・ で・・・ Chanがやってみたところ、1回目で見事にへそに石が入りました。願いが叶いそうです・・・ 秘密の願いがっ!
鎌倉初期、この地方では佐白山正福寺(現・笠間城跡)と布引山徳蔵寺(東茨城郡城里町)の僧兵が勢力争いを繰り返していた。正福寺は百坊、徳蔵寺は三百坊と言われていたそうで、正福寺の方が劣勢であったので下野国の有力御家人であった宇都宮頼綱に援軍を乞い、 元久二年(1205)、宇都宮方が佐白山西麓に拠点を築いて徳蔵寺の僧兵を打ち破ったという。
また、「千人溜り」とは、有事に、多くの武者が一度に集合する為の場所だそうです。
11時24分 佐白山観光道路(一般車両通行止め)を登っていきました。
間もなく笠間城大手門跡が見えてきました。そして、舗装道路から遊歩道に入っていきます。
11時33分 佐白山の「笠間城」の本丸跡広場に来ました。
『ここ佐白山は、「お城山」ともよばれ、市民に親しまれている。それは今から七百数十年の昔、鎌倉時代に笠間地方初代の領主笠間時朝によって、十六年の歳月を費やして築かれた山城であり、明治の初めまで約六百年間、地方政治の中心地であったからである。・・・中略・・・、想いを江戸の昔にはせれば、緑なす木の間がくれに遥かの地から望み見た白の城壁とたたえるにふさわしい名城そのものでもあった。』と説明書きがありました。
前記「笠間百坊」で説明した宇都宮頼綱が、弟の塩谷朝業の子で猶子(養子)となっていた時朝に精兵を授けて派遣して徳蔵寺の僧兵を打ち破ったという。その時朝が初代領主笠間時朝です。
およそ1万6千平方メートルほどに地に、天然の地形を巧みに利用した3つの曲輪(くるわ:城や砦の周囲にめぐらして築いた土石の囲い。)と、3つの櫓(やぐら)を配置し、守に易く攻めるに難い要塞堅固な山城だったようです。
土塁の上にはコンクリート製の東屋があり、この辺りが「笠間城八幡台櫓跡」であり、三等三角点がありました。
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