Kaakaの世界/トレッキング
峠路探訪 アプトの道_前編(2017.10.06)
〇 2017年10月6日(金曜)
今日は会社の創立記念日で休み・・・ そこで群馬県安中市(旧松井田町)にある鉄道の廃線跡を利用した遊歩道/アプトの道に行ってみた。
10時20分 アプトの道の起点は「碓氷峠鉄道文化むら」の脇にあるが、ここの駐車場は900円/2時間 だという。そこで、その奥の市営駐車場に停めた(無料)。
横川駅に関して少々説明します。
明治時代の初めに東京と京都を結ぶ幹線鉄道のルートのひとつとして碓氷峠に鉄道を敷設する計画が持ち上がったが、最大66.7‰(パーミル)、標高差553mの急勾配を走る難工事から断念された。「パーミル」とは日本語では千分率といい 1‰ = 1/1000 = 0.001 = 0.1% で 66.7‰=66.7/1000 すなわち1000メートルで66.7mを上ることを意味する。
しかし、明治20年代に入ると、再度鉄道を引く計画が持ち上がり、碓氷峠の地形的な問題からスイッチバック式やループ線などでは対処できず、ドイツのハルツ山鉄道を参考にアプト式を取り入れることになった。
アプト式とは、急勾配の鉄道線路で列車が滑らないよう、2本のレールの中央に歯車でかみ合う軌条を取り付けた方式で、スイスのアプト(R.Abt)が考案したことで知られている。
そして、明治26年(1893年)、トンネル数26、レンガ造りの橋梁18を要する難工事の末、悲願の横川―軽井沢間が開通した。アプト式の構造上から、最高時速9.6km、1日24往復、1列車10両(客車)が限界で、トンネルの多さから煤煙対策も問題になっていたという。
その横川駅がアプトの道の起点となっています。
アプトの道を進むと横川郵便局の建物が現れます(ピンク系肌色の建物)。
その近くには「アプトの道」と書かれた看板とともに、「峠の横丁駐車場」があり、「ここは、峠の横丁(麻苧茶屋,あさおちゃや)及び横川郵便局利用者の為の駐車場です」と書かれていました。
11時3分 碓氷関所跡に到着。
『碓氷関所は1616年、江戸幕府によって設置されました。中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていました。』(安中市HPより)
さて、今歩いている「アプトの道」は、1963年(昭和38年)に廃止された旧国鉄信越線の横川駅 - 軽井沢駅間の旧線跡において、1996年(平成8年)より横川駅 - 碓氷第三橋梁(通称・めがね橋)間の全長4.7kmの廃線跡に遊歩道としての整備工事が行われ、2001年(平成13年)に完成した。
その後、2008年(平成20年)には、碓氷第三橋梁 - 旧熊ノ平信号場間(1.2km)の延長工事に着手し、横川駅 - 旧熊ノ平信号場(旧線廃止当時は熊ノ平駅)間の全長5.9kmが2012年(平成24年)3月末に完成し開通した。
『なお、横川駅から峠の湯までは旧上り本線をアスファルトで舗装しているが、急勾配のレールの重さによるずれにより、所々にアスファルトにひびが入っている(現在も年間に数ミリのレールのずれが起きている)。』と紹介する記事を見つけました。
景色と歴史の中を歩く一日コースです(約13km約4時間)をこれから紹介します。
11時36分 旧丸山変電所に到着(下の写真)。
『碓氷線は急勾配のため、隧道が煙突の役割を果たし、煤煙によって乗客や乗務員が大変な苦労を強いられましたことから、煤煙問題の解決と輸送力増大のため、我が国の幹線鉄道として初めて電気機関車が導入されたのに伴い、丸山変電所が明治45年に建設された。煉瓦造り建築の最盛期のもので、純煉瓦造り。建物2棟(蓄電池室、機械室)の煉瓦造からなり、軽井沢側の機械室には450kwの回転変流機2基と500kVAの変圧器2基が収められ、ここで交流6600ボルトを直流650ボルトに変換した。
横川側の蓄電池室には312個の蓄電池が設置され、列車が通らない時に充電し、列車の登坂時に放電して電力を補っていた。平成6年12月27日碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財の指定を受け、老朽化に伴い平成12年度より改修工事を進め平成14年7月に終了した。』(安中市HP、熊ノ平駅看板から要約)
丸山変電所の前には「まるやま」という駅の跡があり、色付いた紅葉の前で写真を撮りました。
11時55分 レールの先を左折し階段を上ると天然温泉「峠の湯」があります。
ここで 舞茸天ぷら付きうどん と そばを食べました。
12時35分 第一号トンネル(187m)。
これを抜けた左手には「中山道」の看板があった。
12時40分 碓氷第二橋梁を過ぎると第二号トンネル(113m)が見えてきます。
12時47分 坂本ダムによってできた碓氷湖です。
12時53分 第三号トンネル(78m)が見えてきました。その後、第四号トンネル(100m)、第五号トンネル(244m)と続きます。
13時1分 碓氷第三橋梁(91m)、通称「めがね橋」に到着。国の重要文化財です。
13時7分 アプトの道で最も長いトンネル第六号トンネル(546m)です。続いて碓氷第四橋梁に続きます。
碓氷第四橋梁に続いて碓氷第五橋梁が現れました。
13時16分 第七号トンネル(75m) 18分 第八号トンネル(92m)と続きます(下の写真)。
第八号トンネルを抜けると碓氷第六橋梁の先に第九号トンネル(120m)が見えてきます。
第九号トンネルを抜けると「第十一拱渠」と書かれた橋のような先に第十号トンネル(103m)が見えてきます。
ここまでの看板は「橋梁」だったように記憶しているが、ここからは拱渠(きょうきょ)?・・・
拱渠(きょうきょ)とは、土手を築いて線路を敷く際に、その下に従来の道路や川を通すためのアーチ状の橋梁です。
13時22分 第十号トンネルの前で記念撮影。 この先がアプトの道折り返し「熊ノ平」。
中編は ここをクリック してご覧下さい。