PROFILE/ Chanの某国滞在記/連雲港日本人連絡会主催 送別会_前編(2017.02.25)
2017年2月23日(木曜)〜26日(日曜)
〇 2017年2月23日(木曜)
中華料理店での食事会です。
豪華な料理の一つに、大きな口の中に 赤いトマトが入っていました。
さあっ! これをどう食べるか?? 皆さんに勧められて 箸も手も使わず、口でいただきました。
○ 2月25日(土曜)
いつものように 土曜出勤後の昼食・・・
しかし、いつもの2名のお腹の調子が悪く 今日は 日本料理店・名の屋で 私だけの 1人昼食。
日本では真似のできない?「昼からお酒一本」をいただき、サンマ定食を食べました。
名の屋の帰りは、民主路文化街(右写真)の前を通り過ぎ、その先の隴海歩行街を通ってマンションまで戻りました。
正月は過ぎましたが、まだまだ 干支の『酉』がいて 旧正月気分の中国の街です(下写真)。
午後6時 連雲港日本人連絡会の定例会です。 場所は日本料理店の「名の屋」。 私と もう一人 31歳の若者の送別会が行われました。
私の挨拶の主旨は、次の通りです。
このたびは、盛大な送別会を開いていただき有難うございます。
2013年2月に赴任の命を受け、同年3月16日にこの連雲港の地の下見に来たのが始まりでした。
この地に来るにあたって、妻からは
お父さん、会社辞めても その歳で務めるところはないよ 定年まで頑張ってくれば!
の強い後押しがあって、赴任したのは同年4月15日です。
赴任の際、青島空港に近づき 青島の民家の赤い屋根を飛行機の窓から見て 心がジィ〜ンときました。
『知的財産(特許)担当の自分に事業部長が務まるのだろうか?』『あぁ〜 これで定年まで帰れないなぁ!』
・・・ など ・・・
28年前に、古河から福島への転勤の命を受け、東北自動車道を運転する車から福島の 白く雪化粧した山々を見て、 心が落ち込んで以来のことでした。
さて、昨年定年を迎えましたが、その後も嘱託社員として残り、このたび (日本の)弊社内の組織変更などに伴ない日本に帰任することとなりました。
しかし、○○有限公司の○○長としてはそのままであり、他の海外現地法人も範疇に入れた仕事となるために、帰任後も年に2〜3回は出張で訪れることとなります。
その際は、この連雲港日本人連絡会の月次懇親会に参加できることを楽しみにしています。その際は、暖かく迎えてください。
長くなりましたが、この約4年間 大変ありがとうございました。 この場をお借りして、お礼申し上げます。
今回、3月に帰任する若者KZK氏(31歳)と一緒です。
年を聞くと、私の息子と同じ年・・・
親子?での送別会となりました。
左下の二人 1次会の〆が行われようとしています。 二人の女性は、在日本語学校の先生で、黒いワンピースが26歳のSIТ先生、 グレーの服が ウン歳のIKR先生です。
20時35分 31歳の若者による 1次会の手締めです(右下写真)。
送別会の1次会が終わりました。久々の20人超え、24名での日本人会でした。
全国十大港湾の一つである貿易港を有し、中国に14ある沿海の経済技術開発区の一つでもある江蘇省連雲港市の人口は約480万人ですが、日本人連絡会への加盟は約18企業(個人)で総勢40名弱の任意団体です。そのうち、2名以上の赴任者がいる企業は11社。
私が赴任した当時の月例懇親会は20名弱の出席が常でしたが、最近は12〜15名程度が続いており、久々のにぎわいだした。
名の屋のママとも記念撮影をしました。
二次会は 通称SМクラブ。 その前で、爆竹での中国流のお祝いをしていただきました。ありがとうございます。
ここで、小さなお子様がいる IKRさんが帰りました。ありがとうございました。
通称SМクラブ 本当の名前は スイートムーン/Sweet Мoon 本来は薔薇の名前です。 健全な日本人向けカラオケ店で、連雲港市民約480万人の中に 日本人は約40名しかいないのですから、貴重なカラオケ店です。
10時30分 2次会も終わりです。2次会参加者で記念撮影し、日本人会会長YSNさんのご指名で、一番若いSIТ先生による手締めで終えました。
日本人連絡会の皆様、大変ありがとうございました。
またの機会を楽しみにしています。では、皆様お元気で・・・
最後の錦塀山系九朔頂・斎長城編は ここをクリック してご覧ください。
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