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PROFILE『Chanの某国滞在記』/錦屏山・九朔頂の斉長城(2014.12.28)
2014年最後のトレッキング

斉長城

ホテル ホテル ○ 2014年12月25日(木曜)

 今日は、「ピー」社の資材部長様との夕食会です。
場所は宿泊している云台大酒店(大酒店=ホテル)。
大変気さくな方で、生まれ故郷の「母島」のお話までしていただきました。
さて、母島までは、東京から唯一の交通手段は28時間かかる船のみとのことです・・・
ここをクリックすると「母島観光協会」へリンクします。

○ 2014年12月27日(土曜)
里芋だし煮 メニュー
 今日も日本人スタッフ揃ってのハンドン、昼食は日本料理店。
おすすめメニューを見ると 難解な文字が並ぶ、上から「さざえわさび18」、「あさりバ|タ炒め20」、「ししゃけ骨塩焼き15」、「里芋太゛し煮20」、「目玉焼18」・・・と書いてあるが、価格の単位は元です。現在のレートは1元≒19.37円。
「あさりバ|タ炒め」=「あさりバター炒め」、「ししやけ骨塩焼き」=「骨付きしゃけ塩焼き」、「里芋太゛し煮」=「里芋だし煮」(右写真)です。こんなメニュ標記にも慣れました。前後の文字からの連想?です。
子連れ物乞い
 タクシーで帰る途中、昨夜もいた「乳飲み子を背負った物乞い」がマンション近くの交差点にいました。
この者達に、お金を車窓から投げる者達がいるんですねぇ・・・ 私の某国常識では 全員が食べ物には困るような生活をしないのが人民政府の政策と考えていましたが、実際は違うようです。
 さて、今日は日本人会です。
タクシーに乗るといつものように「han guo ren」(韓国人)と聞かれました。「Japanese」と答えても全く通じない。日本語発音の「ジャパニーズ」が通じる人は某国においては少ない。「ri ben ren」(日本人)と言うと、納得した様子・・・
ケーキ おせち お品書き  今日は年末でもあり、5日後には新年を向かえる中「おせち料理」まで出てきた某国○○省○○○市の日本人会兼忘年会でした。
更には、クリスマスもかねて?、A社の差し入れケーキもありました。 また別のA社の方からの差し入れ焼酎「赤霧志摩」もあり、大変有意義な日本人会を過ごすことができました。

○ 2014年12月28日(日曜)
石棚山 目指す方向 石棚山
 8時20分 いつもより少し遅い出発。目指すは錦屏山九朔頂にある斉長城です。

 8時40分 石棚山の駐車場に到着。ここから、石棚山を越えて右回りで斉長城まで登るコースとしました。
道 登り口
 9時3分 4回目?の斉長城になるのかな・・・ いずれにしても今年最後のトレッキングです。
錦屏山へ初めて登った時(2013年5月12日)は右写真の右側↑から登りました。山頂が近づくと、際立った石に進路を阻まれ、最後は斉長城の城壁に邪魔されて大変な思いをしての登頂でした。
 そこで、今回は左側↑から登り、大きく左に回り込みようなルートでの登頂を試みました。
斉長城 斉長城  9時20分 斉長城が見えてきました。
しかし、まだまだ先はありそうです。
斉長城 斉長城  9時30分 斉長城が近づいてきました。
しかし、まだまだ斉長城の中には入れません。 そうやすやすと長城の中に入れては、敵の侵入が防げないわけですから・・・
斉長城 斉長城  9時45分 城壁が見えてから、左へ左へへと回り込み、ヤット斉長城内に入ることができました。
初めて登った際は、無理をして城壁をよじ登ったこともあり、先ほどの9時3分で紹介した場所から33分で登頂出来ましたが、今回は42分かかっています。安全なのはこちらのルートです。
 斉長城の南西方向にある峰近くにまで行くと、斉長城の全容を見ることができます。
斉長城 斉長城 まさに、ミニ万里の長城?・・・、何度か説明しているかもしれませんが、『万里の長城よりさらに数百年早い斉桓公の時期に建設が始まり、山東省西部から青島方面へ連なる。・・・』という記事を見つけました。
この山のある海州区は、以前は山東省内に属していたので、 山東省西部〜青島方面〜海州区 へと 続いていたのかもしれません。
斉長城 斉長城 斉長城
団体  10時30分 下山開始。 すると、緑の旗を持って 上がってくるグループがありました。
某国に来て、何十回とトレッキングをしていますが、花果山のような国家級の観光地は別として、その他の山で団体での活動は非常に珍しい光景です。
どんな団体/グループなのでしょうかねぇ?・・・
 10時35分 下山途中にある コンクリート製の扉のある洞窟・・・ 今日は冒険しようと考え 懐中電灯を持ってきました。 中に入って見ると、この洞窟は非常に長く、途中で分岐しています。今回は分岐を左に、後ろを振り向き入口の明かりを確認しながら進みましたが、ついに入口の明かりが見えないところまで来てしまいました。

 10時40分 外の明かりが見えてきました。長い洞窟です。
下の写真は、左から出口付近のコンクリートの扉、次が中から見た出口、更に外から見た出口、そして一番右が出口周辺です。周囲からは、この出口の存在が見えないようになっています。
周辺 外から見た出口 中から見た出口 出口扉
下を見る 出口付近  先ほどの洞窟は、出入口こそコンクリートで整備されていますが、中の周囲は何も補強はされておらず、岩盤を切り取りながら手作りしたまま?です。抗日戦争(第二次世界大戦)の時でしょうか?
その出入口は、右写真のように斉長城の城壁の下に位置し、下を見ると険しい岩場が続いており、どこに歩いて行ったらいいのか分からない状態です。
 いつ作った、何のための洞窟なのでしょうか? 次は、ヘッドランプ等を持参して探検してみようと思います。
石像 道  10時56分 下山道らしき 人の歩いた形跡のあるところまで出てきました。一安心です。

 11時8分 石棚山周辺の石像のあるところまで、下山してきました。

 11時18分 石棚山駐車場に到着。

 11時46分 宿舎のマンションに無事帰還。
これで、今年のトレッキングも終わりです。

 この1年間、無事に山歩きできた経験を基に、無理せず/登る勇気に、引き返す勇気を持って、来年も一人トレッキングを続けていきます。このHPを、来年も引き続きご覧いただけますよう、お願いいたします。
では、一足早く 『良いお年を!』

PROFILEへの来訪 人目

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