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PROFILE『Chanの某国滞在記』/冬の桃花澗を歩く(2014.12.14)前編

九朔頂の斉長城

お菓子 ○ 2014年12月09日(火曜)

 日本のE社様&K社様との夕食会です。
中華のテーブルには、このようなお菓子も出されました。珍しい・・・
※ 花びらを食べることができました。

○ 2014年12月13日(土曜)
南京大屠殺 揚子晩報
 半日出勤の後、いつもの日本料理店にて昼食です。その後、某国の散髪へ・・・。
そこで、「揚子晩報」(yang zi wan bao 「ヤン ズー ワン バオ 」)という、某国の夕刊紙を見ました。
特集は、「南京大屠殺」のようです。日本では「南京事件」(南京大虐殺)といいます。
南京事件は、日中戦争(支那事変)初期に日本軍が当時の国民政府の首都南京占領(1937年(S12年)12月13日)に伴い、その後の数週間にわたって中国軍捕虜や非武装の一般市民をも含め虐殺・略奪行為を行なったことを言うようです。
大韓航空
 12月5日に発生した「大韓航空ナッツ回航事件」が「富二代」(裕福な二代目)、「霸道高管」(横暴な上級管理職)、「○果返航」(ナッツで引き返す)というような見出しで紹介されていました。
某国の高官であれば、新聞には載せないでしょうね・・・
小野田少尉 特別文摘 「特別文摘」という本には、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果た小野田寛郎元少尉の記事か掲載されていました。
かつての上官である谷口義美元陸軍少佐からの任務解除・帰国命令が下ったことまで書かれていました。
 マンションに帰って調べてみると、小野田元少尉は4人兄弟で、長兄・敏郎氏は東京帝国大学医学部・陸軍軍医学校卒の軍医将校(終戦時最終階級陸軍軍医中佐)、次兄・格郎氏は陸軍経理学校卒の経理将校(陸軍主計大尉)、弟・滋郎氏は陸軍士官学校を出て陸軍少尉となっているなど、4兄弟は何れも陸軍将校であったことを知りました。

看板 桃花澗 ○ 2014年12月14日(日曜)

 8時 宿舎のマンションを出発。行先は「桃花澗」(tao hua jian)です。

 8時35分 桃花澗に到着。冬なので寒いが、寒さ対策バッチリでの電動自転車での走行です。
さて、入場してみると見かけたことのない看板が目に入ってきました。この看板は、「錦屏大観音」(jin ping da guan yin)を通り、その先を通り抜けて大きく右回りして、桃花澗の右側を通って降りてくるコースのようです。
今回の私のルートは、桃花澗を通って登り、その先まで通り抜けて大きく左回りして錦屏大観音へ降りてくるコースとしました。

桃花澗 桃花澗 桃花澗  12月の「桃花澗」の様子です。
一番左の写真は、「桃花澗」と朱書きされた滝を遠くから撮影したもので、中央は拡大したものです。一番右は、近づいて撮影したものです。いずれも写真に活力がありません。日陰であったのと、いろいろいな色がないからでしょう・・・
桃花澗 桃花澗  日の当たる部分は、それなりの色で写っているのが分かりますか・・・
途中の木の皮が剥けていましたが、動物が皮を剥いたのでしょうか・・・
 9時12分 桃花澗の反対側に行くことのできるジグザクの道が見えてきました(下の写真)。
この谷を越えずに、写真の右手奥(進行方向では左手奥)までまだまだ進み、左回りに帰る際に、下の写真の尾根付近を歩くことになります。
桃花澗

この先、折り返し点から左回りで錦屏大観音経由で下山する様子は ここをクリック してご覧ください。

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