−− PROFILE『Chanの某国滞在記』 鳳凰西山・碧霞宮(前編)(2014.07.27) −−
日中戦争(抗日戦争 1937-1945年)の時代に、ここ鳳凰西山で日本人が17人を殺戮(さつりく)するなどの事件があり、それに抗議して碧霞宮(bi xia gong)の和尚が血書を残して自らその身を焼いて亡くなったそうです。これにより、碧霞宮は廃墟になったという紹介記事を見つけました。
※ 殺戮:むごたらしく多くの人を殺すこと。
今の碧霞宮は、最近復元したもののようです。
そんな鳳凰西山にある碧霞宮に行ってみることにしました。
○ 2014年7月27日(日曜)
7時40分 日中暑くなるので、今回も少しでも早く宿舎/マンションを出発しました。
8時5分 先週と先々週に訪れた鳳凰東山への入り口で普照寺(pu zhao si)を左手に見る場所までたどり着きました(左下の写真)。
この十字路を右折し、10mほど進むとY字路となるので斜め左に進む(左から2番目の写真)。
間もなく現れる丁字路を右折します(左から3番目の写真)。
今度は20mほど先のY字路を左折(右下の写真)するとまもなく碧霞宮への参道となります。
8時11分 碧霞宮への参道のある所に到着。
愛車の電動自転車を路肩の空き地に駐輪して、目指すは碧霞宮・・・。
参道となる?階段を歩くことにしました。
8時14分 車が登れる最高地点です。
すでに何人かが来ているようで、焼香場には線香が手向けられていました。
更に進むと、焼香する場所があり、その中には駒大将軍之位 牛大将軍之位 白大少斧之位などが祭られていました。
8時21分 あと一息で碧霞宮です。
日中戦争での悲劇を紹介した看板などを見つけることはできませんでした。
さて、碧霞宮の左脇にはトイレがあり、その先に続く道を見つけました。
細道を進むと、鳳凰西山の
南側の峰が見える北側の峰の山頂まで来ることができました。
この続きは 鳳凰西山 後編でご覧ください。
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