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PROFILE 『2010年から』編/水上温泉郷 寶川温泉の旅 (2010.0307-08)

寶川温泉の概要


送迎バス JR水上駅 1. 3月7日 JR普通電車を乗り継いで水上駅に12時過ぎに到着。

  昼食後、14時30分発の送迎バスにて宝川温泉/汪泉閣へ

フロント 宝川温泉『 汪泉閣』の玄関 2. 15時頃 宝川温泉『 汪泉閣』に到着

 「日乃本一の大露天風呂」を誇る群馬県、宝川温泉の一軒宿『 汪泉閣』(おうせんかく) に、Chanの会社の同期四人と共に行ってきました。
ここは、「季節により、様々な表情を見せる美しい奥利根の大自然と宝川のせせらぎに包まれ、雄大な時間の中でゆっくりと寛げる」宿です。
 以下、『宝川温泉 汪泉閣 オフィシャルホームページ』からの抜粋で紹介します。
【伝説】
 宝川温泉は民話の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐の折り当地によられ武尊山(ほたかやま)に上られ、病に伏せってしまい困っていると遙か下界より白い鷹の飛び立つのを見つけ、その地に立ち寄ってみると温泉が湧いており、そのお湯につかると病が治り旅を続ける事が出来たと伝えられている。
そのため宝川温泉はその昔、『白鷹の湯』(はくたかのゆ)と呼ばれていました。

【歴史】
 宝川温泉がいつ頃から温泉として利用されていたかは、今のところはっきりした史実や遺跡は発見されていないが、近くで縄文人の遺跡が発見されているのを見ると、その時代から利用されていたと考えられる。
・・・中略・・・。猿が学習によって温泉に浸かっている温泉地もあるが、その姿が古代人のそれに重なって見えます。

【名前の由来】
 宝川温泉の名前は、旅館を分けて流れる一級河川宝川に由来している。
宝川とは文字通り、宝がとれる川の意味で、古くは江戸の昔から昭和の初めまで、銅山として採掘が行われていた。

【現在に至る】
 宝川温泉が現在の形になったのは、大正時代で、そのころ湯治場としての宿泊施設が作られている。
・・・中略・・・。現在のように発展したのは、昭和20年代後半から始まる一連のダム工事によって道路が建設され電気が通る様になってからである。
昭和30年に約2年の大工事により、現在の本館が造られ温泉旅館としての形が整い次々と施設が作られて行った。

3. こんな旅館で・・・、こんな部屋で・・・
部屋で 乾杯 部屋の入口
 到着したのは、昭和の面影を残す 「梅の間」 でした。

まずは ここで、今日の疲れを癒す 乾杯 ・・・
夜の吊り橋 橋の上にて さあ、露天風呂に行きましょう。
夜の通路 夜の通路

標識 4.日乃本一の露天風呂

 宝川温泉『 汪泉閣』は、摩詞(まか)の湯、般若(はんにゃ)の湯、子宝の湯と、原則/混浴です。
混浴に抵抗のある女性には、女性専用の露天風呂「摩耶(まや)の湯」もあります。


 以下、『宝川温泉 汪泉閣 オフィシャルホームページ』からの抜粋で紹介します。
露天風呂/摩詞の湯 1) 摩詞の湯

 宝川温泉で一番有名な広さ120畳の露天風呂。数多くの雑誌やテレビ番組、ポスター等で使われています。
昭和15年に完成し露天風呂としては、東日本の横綱の称号を与えられ各地の露天風呂の見本となりました。
四季を通してさまざまな表情を見ることができ、特に秋の紅葉は、周りに植えられたもみじが、疑うばかりの赤に染まり、見る人を驚かせます。平成16年リニューアルし、以前にも増してすばらしい露天風呂になりました。

冬には雪が積もり、一面の銀世界と周りの寒さが、露天風呂の温かさを引き立たせ、宝川温泉の露天風呂の本当の良さをしみじみ感じることができます。
また雪解け時期には、宝川の激流と隣り合わせになり、自然のすごさを、まじまじと感じさせてくれます。

露天風呂 2) 般若の湯 と 子宝の湯

 般若(はんにゃ)の湯は、前記の摩訶の湯の脱衣場を挟んで川下に位置し、大きさは摩訶の湯の半分ほどのこじんまりした50畳ほどの露天風呂です(右写真の右側)。
 子宝の湯は般若の湯の川向にあり、湯船の上屋に武尊神社(ほたかじんじゃ)が祀られています(右写真の左側)。
露天風呂 夜間には、右のようになります。
般若の湯 般若の湯般若の湯は、湯船の半分が浅くなっているので、お子様も安心して入れます。
また、般若の湯は照明も少ないので、女性も目立たずに夜間に入ることが出来ます。
摩訶の湯のような派手さはありませんが、情緒あるお風呂です。

子宝の湯子宝の湯は、以前から宝川温泉で一番の大きさでしたが、最近、以前の約2倍330平方メートル、約畳200畳分になりました(大きさが大きいだけなら、ギネスブックに載せるのを目的に作られたものはあります)。
子宝の名前のおかげで、子宝に恵まれた旨のお礼の手紙をたくさん頂戴いているとの説明がありました。
実際温泉で体が温まり、婦人病の治療には役立つそうですので子宝にも恵まれるのかも知れません。

この時期、昼間の「子宝の湯」は、若いカップルで一杯でした。
子宝の湯 子宝の湯
 さて、オジサンである私達は 場違い に おののき  前を隠し ただただ 隅っこにいるだけでした。
しかし、夜間の一時(夕食の時間帯)は 私達四人 の貸し切りでした。
その後は、夕食が終ると 少しずつ 男女が増えましたが、 若者のカップルで一杯 にはなりませんでした。
もしかすると、スキー客の若者が カップルで混浴に入った のかも・・・

 その他に、内風呂と女性専用の露天風呂「摩耶の湯」があります。「摩耶の湯」の写真はとれませんでした。当然ですよね。

5) 夕食 〜 朝食 〜 朝風呂へ
夕食 鱒のムニエル 朝食 朝の乾杯
子宝の湯 雪の中の温泉  夕食を頂き・・・ 朝には、また一杯・・・

窓を開けると 外は 雪 でした。
一村一山 上越線 道中絵巻
『一村一山 上越線 道中絵巻』は、水上駅に掲げてあったものです。これから 幾つの 山 にいけるのか・・・


PROFILEへの来訪 人目

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