当ホームページの管理人『Chan』が、HPの基本から学ぼうと作ったものです。
作成していると、Kaakaが「私の分も載せて!」と横から割り込み、夫婦の趣味(鯉釣・DIY・手芸・草花)を紹介する当HPができました。特許権・商標権・著作権について知っていると便利な情報もあります。初めてご利用の方は ご利用上の注意点 を同意の上、ちょっとお寄りになって、ご覧ください。

−−− 私の鯉釣り履歴 −−−

子供の頃  社会人になって  鬼怒川・小貝川  霞デビュー  2002年〜2004年の傾向  

【子供の頃】 ・ ・ ・ 母方の祖父の自転車、親父のバイクに乗って

 母方の祖父の自転車に乗せてもらい 近くの川 で 釣りをしてもらった記憶があります。
祖父は 私が住むY市の前身の (旧)E村の助役 まで務めたと聞かされていますが、私にはそんな記憶はなく、ただ自転車の後ろに載せられ しがみつきながら 釣り場に行った 記憶が わずかにあるのみです。
 親父の家業は農業でしたので、農閑期しか釣りはできませんでした。たぶん、その時に連れて行ってもらったのではと思いますが、確かな記憶がありません。
 その後、祖父も亡くなり、仕事が忙しい親父に釣りに連れて行ってもらうこともなくなり、いつしか小学校・高学年になり 近所の同年代の子供達との 釣り となりました。
 当時、近くの(O市とY市の間にある)川の上流には工場が乱立し?、工場排水で水も汚れ(汚染され)?、一時は ドジョウ しか釣れない川 と なってしまった記憶があります。
 時々釣れた魚は 背中が曲がり 奇形でした。それが、今では 昔以上に釣れる川に 変身 しています。川幅数メートルの川ですが、60〜70台の大物も釣れ、現在は地元の方々の 鯉釣り場です。
 エサを聞くと面白いですよ、数年前は ザリガニ(私の地方では エビガ二 といいます)が主流、その後 ハンバーグ そして ミーとボール しかもチキンが一番だとか ・ ・ 今後もエサは変わるでしょうね?。

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【社会人になって】 ・ ・ ・ 金曜のアフター5

 学生の時に、2本のグラスのリール竿を買いました。当時の値段で 竿が3000円程度だった記憶があります。 オリンピックの「ゼブラ」と書いてあったような気がしますが、数年前に知人の知り合いに あげてしまいました。
 社会人になった当時、鬼怒川の栄橋(通称:久○田橋)の下流では、鯉釣のブームでした。 学生時代に買った竿と別の竿を2本ほど買い足し、私も参戦したのですが、なかなか釣れませんでしたね。さそして、会社の同僚・上司の4人組で鯉釣りをしていたのですが、金曜に会社が終わると、この場所に誰かがまっしぐらで 場所取り でしたが、時には釣り場の確保すらできない状態だった記憶があります。 アフター5は釣り場にまっしぐら こんな週末でした。

      当時の大物狙い用エサは オコサマ でした。

 私の地方は、Y紬でも有名であり、私の子供時代はどこの家でも オコサマ を飼っていました。「オコサマ」をどう書くのか分かりませんが、標準語では「カイコ」のことです。
しかし、私が社会人になった当時、オコサマを飼っている農家は数えるほどになってしまい、手に入れるのは 知り合いを頼る ほかにない状態でした。
ところで、貴重なオコサマです。貰ってくるのは ジジ・ハバ というオコサマで、繭を作らない、作れないオコサマ を貰ってました。ところで、私はこの オコサマ で1匹も釣れませんでした。
 その後、鯉釣りから ルアーでのマス釣り に転身してしまい、それも数年で終わり。その後の釣りは、会社や生命保険会社主催の 釣堀での鯉釣り大会 に参加する程度でした。
そて結婚して、子供が生まれ、子供が釣竿を持てるようになって、子供をつれて雑子釣り&ルアーでのバス釣り を始めたのですが、 子供達が釣りを好まず、続きませんでした。

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【鬼怒川・小貝川での数釣り】 ・ ・ ・ 初めの頃は、釣れましたね。日に数ひきは当たり前、・・でも?

1996年(H08)〜

I県サッカー協会4級審判員  このころの管理人は、長男が入団していた地元のスポーツ少年団(スポ少・サッカー)の監督・団長で、釣をするなど考えもつかない急がしさでしたよ。
なんでこんなことから書くのかって!、その後の スポ少つながり ですかなぁ〜


1998年(H10)〜

バレーボール協会  つづいてこのころは、娘が入団していたスポ少・バレーの追っかけ、練習のお手伝いという日々でした。
この スポ少・パレー での、監督NK氏との出会いが、約4年後に 再会し 本格的に鯉釣りを始める 一つの小さなでキッカケ となるとは、その時は想像も付きませんでしたね。


2001年(H13)

 前年から再開した、スポ少・サッカーの練習のお手伝いも この年の春には お暇 を出されてしまいました。

暇な日々を送っていた管理人が、この年の初冬のある日、鬼怒川のある橋を車で渡っていると、車窓から見た川原に 釣り人 が目に入ってきました。
川原に下りて確認すると、数人が 鯉釣り をしているようで、結構大きな鯉が釣れていましたね。
その中には 後日知った地元の名人○氏に混じり、今でも 釣友 である NJ氏御一行がいました。

 この釣りを見て、20数年前に買って いまだに家にあるグラスの鯉竿(リール竿)を思い出し、早速翌週から鯉釣り再開でした。
何度かの週末の釣りを続けていた12月の寒空のある日、手ぬぐいの頬被りをして焚き火に当たる オッサン がいました。
でも、どこかで見たことある・?・、
     あっ! NKさんかい?
そうなんです。娘がスポ少・バレーでお世話になった NK監督 でした。
昔話に花が咲き、お互いに スポ少をお払い箱になった ことを知り、親近感を持つようになり、その後も釣りをご一緒するキッカケとなりました。

 そうそう、これと前後して 今では大きな会に所属する OT氏とHD氏ともこの頃 鬼怒川 で知り合いました。
前記の NJ氏 とは 特に鬼怒川釣行 の回数を重ねた記憶があります。
少し後に、釣友MT氏ともこの頃鬼怒川で知り合いました。 そして、中島橋、川島橋、栄橋(久保田橋)、鬼怒川大橋、駒城橋、大形橋と・・。


 2002年(H14)

若い私と鬼怒川の大漁 冬鯉

 2001年の年末から2002年2月の極寒の鬼怒川、私は、セッセと鬼怒川へ。メインは川島橋、栄橋(久保田橋)で、寒さの割りに、鯉は釣れました。

 左の写真は、川島橋下流のポイントでの大漁鯉です。
この頃の私は、釣った鯉を、後から来る人に見せることに 優越感 を感じていたのかも知れません。釣果はすべて確保していました。
 この年の春から、釣果をパソコン/エクセルでデータ取りし、自己の記録とするとともに、傾向をつかみ始めました。

     この 2002年 マイ鯉コレクション をクリックすると2002年の釣果がPDFで見られます。

そして、釣友MM氏に出会ったのは、この年の暑い夏 場所は小貝川でした。


 2003年(H15)
小貝川/黒子橋71センチ 鬼怒川/大形橋上流の夕暮れ  写真左は10月の小貝川での71センチ。
 右は、大物を狙った 11月の鬼怒川の深場です。

 この 2003年 マイ鯉コレクション をクリックすると 2003年の釣果がPDFで見られます。


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【霞ヶ浦デビュー】 ・ ・ ・ 2004年 大物を狙うほど、数は釣れません。

 2004年2月の鬼怒川で釣れた 51センチ 56センチ そして61センチのデブ鯉 です。
51センチのデブ 56センチのデブ 61センチのデブ鯉
 鬼怒川の鯉は、ハッスル・ハッスルで 引きが強かった 印象です。霞や北浦の 50〜60クラスの鯉とは 比べものにはならなかい引きですよ。

 さて、この年の春、ベテラン鯉師ST氏の案内で、MM氏とともに 初めての霞釣行 園部川/豚小屋 に行きましたが、釣果ゼロでした。
そして 4月4日 鬼怒川・小貝川で知り合った者と その知人達7名が集まり 『紫峰釣友会』 という 鯉釣倶楽部を結成し、私は「会計」として参加することとなりました。
     『紫峰』とは筑波山の古称で、古くは万葉集にも詠まれた名山です。
     朝夕にその色を変えるところから「紫の山」・「紫峰」などといわれてきたようです。

そして、4月末には初の全国大会/全国鯉釣り協会主催の鯉釣大会 に参加しました。
初の80台の鯉 初の80台の鯉と私  当日は、4月末というのに霞ヶ浦/島津は寒風で、寒い2泊3日でしたが、『紫峰釣友会』結成後初めての全国大会参加と言うことで 全員で参加しました。
私は、ラッキーにも霞2回目にて自身初の80台をゲットしました。

 これに味をしめてか、続くGWも島津にて釣りをし、またもや80台ゲット。
80台の鯉と私 またも80台の鯉  この80台に味をしめて その後 地元の鬼怒川&小貝川での釣行の回数は徐々に減り、 竿も5本揃え、 そして無線式センサーを揃え、結果として霞&北浦での釣行回数が増えていきました。
 そして、鬼怒川&小貝川で釣りをしても大物を意識してか 仕掛けも変わり、特に霞&北浦など水郷地方での釣では エサがタニシ となるに伴って、数という釣果が徐々に減ってきました。
知人二人と青魚
 5月のある日、携帯が鳴り、出てみると 知人が 利根川で青魚を釣ったと言う知らせでした。 はじめて見た 青魚 です。大きかったですねぇ〜! 私の竿&リールでは 元気のよい青魚 を釣るのは無理かな と思い始めました。

・6月20日 紫釣釣友会の第1回大会へ参加しました。
準優勝でした  地元の 鬼怒川での 第1回大会 でしたが、2007年現在 その後の大会は すべて 水郷 となっています。
この大会で、 堂々の準優勝、賞品として サマーベットをゲットした写真です。

・9月19日 75cmと82cmを霞で上げました。

・10月8日 64cmを霞で上げました。

・10月23日 紫峰釣友会の第2回大会に参加しました。
秋季大会の91cm 91cmだよ  紫峰釣友会の秋季大会のこの日、 新潟では大地震 が起きており、大会中の我々も 強い揺れを感じ 『こんな大地震じゃ 今日は釣れんな!』 と 言っていた その夜、 私は 91cm を釣り 優勝 しました。
地震があっても 釣れるものだと この時は思いました。

・11月13日 北浦にて 65cm を釣りました。


 この 2004年 マイ鯉コレクション をクリックすると 2004年の釣果がPDFで見られます。

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【2002年〜2004年の傾向】 ・ ・ ・ 主に 鬼怒川&小貝川での傾向

 このサイズ別の傾向をクリックすると、2002年〜2004年の間に釣った私のサイズ別の傾向が PDF で見られます。

 このように、記録を取り始めた2002年以降、2003年、2004年とサイズがアップしていることがこのグラフから 傾向 として分かると思います。
2005年以降は、ほとんど 鬼怒川&小貝川での釣り をすることはなくなり、サイズの大型化は顕著になっています。

 そして月別の傾向をクリックすると、2002年〜2004年の間の釣れた月別の傾向が PDF で見られます。
 このように、3年間の合計での月別釣果数は、1月〜3月が少ないように見えますが、2002年のデータが4月以降ですので、これを考慮すると 鬼怒川&小貝川は年間を通して釣れる釣り場 ということになります。。


 この2004年までが 私の鯉釣経歴 のうちのスタート部分です。2005年以降は、別途『2007年以前の釣行記』として掲載しています。そちらでご覧ください。

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